≪宮沢賢治「世界がぜんたい幸福にならないうちは…」≫
大型台風18号で近畿、特に京都に大きな被害が出たことは、今までにはないショックでした。
自宅は桂川からかなり離れていますが、桂離宮近くの友人に尋ねると「ウチはどうもないけれど、近所には浸水したお家が多い」とのこと。
見慣れた風景であるだけに、自宅は無事でほっとしたものの、被害に遭われた方のことを考えると心が痛みます。
今まで、台風や地震に際して、各地で災害を聞いても「大変だろうな」「元気に立ち直ってほしい」とは思うものの、心のどこかで「京都は大丈夫!」という『京都神話』がありました。しかし、考えてみると、世の中には「絶対!」はないのですね。
『当たり前』と思っていたことが、『有ることが難しい状態の≪有難い≫』としっかり認識することが大切です。『慢心』はいけません。いつどうなるかは読めませんが、大事なことは、自分なりに律するということでしょうか。食を中心とした生活を無理のない範囲で正し、行為・行動も身の丈に合ったものとすること。昔、祖母が言っていたことですが、いつの間にか、私も軌道修正が必要となっていました。
と同時に、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」を思い出します。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。
「農民芸術概論綱要」より
「全世界が幸福にならないうちは」ではなくて、「世界がぜんたい幸福にならないうちは」ですから、賢治が言っているのは世界の全体的な幸福であって、単純な完璧論ではないのが鋭いところです。
自分の身におきる日々の出来事を、銀河の出来事の一部であると定義することで、自分の身の回りの「ぜんたい幸福」を目指していれば、その個人は幸福になれる、(昔の人はそうやって結構幸福だった)という考えです。
台風一過の後は青空と清しい秋風。猛暑で疲れた心と体には、ほっと一息です。中秋の名月も美しく、自宅付近ではコスモスが咲き始めました。
ご存知のように、『コスモス』とはラテン語で星座の世界を意味し、秩序をもつ完結した世界体系を表わしますが、世界中が波乱のこの時代、調和へ向かってくれるように『コスモス』のお花にも祈りを託したい思いです。
2013年10月1日
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[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。