≪人格高く且(か)つ大にする≫
佐保田鶴治先生(前列中央)
先月、9月11日はヨーガの恩師、佐保田鶴治先生(日本ヨーガ禅道友会初代会長、大阪大学名誉教授≪インド哲学≫)の命日でした。この言葉は、奥様の久子夫人が発見された、先生が若いころ書かれた文章の一部です。この前後には以下が続きます。
「汝生まるるや人を謗るの権利を有せず。人格高く且つ大にするの義務を有す」
奥様は、上記について、「彼の生涯にかくありたいと念じていたと思う」と、言われています。
この境地は、佐保田先生がヨーガを始められるかなり以前ですが、ヨーガ実践による、現実的な理想と考えることもできて、ヨーガ者として生きる楽しみも感じます。
日々生きていく上で、人は思いがけない災難を身体や心に受けることがあり、大なり小なり、心が揺れることが少なくないのですが、その中でも、人のせいにするなど、≪心外無法≫で外側に解決を求めるのではなく、内省をする、徳を高める努力をするなどによる在り方は、人間として理想とも言えます。同時に、ヨーガ者としても、理想であると同時に実現可能でもあるところに惹かれるものがあります。
私が佐保田先生に師事した10年間、心に染みた言葉、カルチャーショックを受けた言葉はたくさんありますが、それらのまとめとして、上記の言葉が私の心の奥に響き続けています。
直接聞いた言葉としては、例えば、『愛の香りが漂うように』という話をされたことがあります。
ヨーガの目的は心と体が同時に変わることです。体が健康になることは大切なことの一つですが、同時に、心も一緒に清らかになった時、はじめて健康が得られ、幸福や生きがいも得られます。ここまでくると、その人は自分では意識しなくても、いつも心に喜びをたたえています。人生が不遇でも、不遇の中に喜びが絶えないのです。そういう状態にだんだんなっていくと、やがて自分の中の喜びが外にあらわれるようになります。すると、それは人に対する優しさとなるのです。別に誰を愛するとかを考えなくても、その人の内に喜びをたたえるだけで、他人には安らぎ、幸福を与えます。
佐保田鶴治先生のこの言葉を思い出して、私自身をふり返ってみると、ヨーガを始めた頃、感情の起伏はかなり激しく、そのために人を傷つけ、自分も傷つくことが多くあり、その時は、若さゆえの特権と思っていました。
しかし、今、考えてみると、自分の感情に振り回されて、結局、実りのあることは、できていなかったように思います。激しく回ってはいたものの、自分が見えていない状態で、一体、何をしようとしていたのか?何ができると思いあがっていたのだろうか?と、今なら思えます。
しかし、ヨーガを行なうことによって、心身ともに、少しずつですが健康になるにつれて、あれほどこだわっていた自分への思いも、「本質的なところだけ守れたらいい」と思えるようになりました。「私は」「私が」と主張するより、「あなたは?」と尋ねる方が、平和的で美しく、ハピーになれますし、時として相手へ向けていただろう非難も、内面を観察することによって、自分を豊かに、高めるきっかけと思える余裕もできるようになりました。
先日、カルチャーセンターへ1日体験に来られた友人が、「教室の雰囲気が落ち着いて浄まっている」と言ってくれました。
佐保田先生の言われる『愛の香りが漂うように』なるのはいつの日でしょうか?更には、『人を謗るの権利を有せず。人格高く且つ大にする』のは、いつの日でしょうか?
ヨーガ実践の延長にあることは確かなので、皆さんと楽しみながら歩んでいきたいと思う昨今です。
2024年10月1日
[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。