≪パラダイムシフト≫
パラダイムシフトとは
「パラダイムシフト(規範の転換)」とは、アメリカの科学者で哲学者のトーマス・クーンが1962年に発表した著書『科学革命の構造』のなかで提唱した学説、「それまで主要だった価値観が急激に変化すること」が、現在では、「それまで当たり前だと考えられていた価値観や概念が、大きく変化する」という解釈で一般的に広く使われるようになった。その理由としては、「社会が危機に直面したときに、今までの物事の見方自体を変えて、新しいアプローチを施さないと、局面を打開できない段階に達することがある。パラダイムシフトはそのときに起こる」(サンノゼ州立大学、ジャネット・ステムウェル教授)とのこと。昨今のように、コロナ禍が世界中に蔓延し、一時的に鎮静化するかに見えても、変型がおこって再度感染が拡大する昨今、また、ウクロイナへのロシアの侵攻、更には東北での震度6以上の震災などによって、人間の心身の健康も危機に瀕して疲弊している状況では、パライフシフトがおこりやすいと思われる。
どのようなパラダイムシフトが言われるか?
パラダイムシフトに【意識革命】【意識の変容】を挙げる人たちが増えている。これまでの概念では立ち至らないから、このようなことがおこった。これを避け、人として生きやすくするにはこれまでの考え方、とらえ方を改め、【意識の変容】が必要である。例えば、具体的には、以下のキーワードが挙げられる。斎藤幸平氏は『人新世の「資本論」』の中で、≪脱成長≫を取り上げた。「ブエン・ビビール buen vivir(よく生きる)」という、エクアドルの先住民の言葉を引用、西洋型の経済発展を追い求めるだけではなく、「先住民の智慧から人々の幸せのヒントを得よう」という概念で、「世界的に広がった」と述べている。日本では、ブータンの「国民総幸福量(GNH)」がその一例になっている。また、≪利他≫も、話題となることが増え、書店でも宗教書のコーナーだけではなく、一般書にも置かれている。以前のような、宗教色の濃い『滅私』ではなく、自然に発する≪利他のこころ≫への気付きや、無理なく行える≪自利利他≫を、「コロナ時代、他者と供に生きる術」として考える一助として取り上げられることが多い。共通しているのは、何らかの、【意識の変容】がそこにはある。
私が考えるパラダイムシフト
【意識の変容】について考えてみると、現代、特に昨今は、「本当に大切なものを求めるより、時短に代表される、手軽さを求めること」が強調される感がある。フランスの作家で評論家の、アンドレ・マルローは、「20世紀は心の時代」といったが、21世紀に持ち越され、いまだに解決の糸口がないどころか、ますます、混迷をきたしている。
その解決のための一つの重要な糸口が、先に述べた【意識の変容】であろう。コロナ禍、諸説あるが、一般的にはウクライナへのロシアの侵攻、再び震度6以上の東北の震災など、どれもが何十年に一度あるかないかの大ごとであり、そのために亡くなった人、大変な思いで生き延びた人も少なくない。この状況を直接、間接に体験している私たちは、[いのちの尊さ]と同時に[いのちの脆さ]も身をもって体験している。「いのちは永遠なるもの」としても、この体験を通して、あらたな[パラダイム]を作り出すとしたら、この[いのちの尊さ]と[いのちの脆さ]に根差すものとなるのは必至である。それはまた、人類がよりよく生き延びる可能性をもつものであり、一つの、微かではあるが[光を射す]ものとなろう。
早くも2年前になるが、カルチャーセンター休講が続いた3,4か月後、やっと再開したヨーガレッスンの後、誰かが、「先生のヨーガは型に始まり、型を超えるですね。癒されます」と言った時、周囲の人たち皆が笑顔でうなずいた光景が印象的である。〈型〉があるから実践できる、しかし、それだけでは終わらない何か、【意識の変容】がそこに起こる。それが尊いのである。〈型〉がなくてもできるかもしれないが、〈型〉を踏襲することによって、より確たるものにすることができる。そうして、心身ともに健康になった人々は、周囲に微かな光さえ射すことができるだろう。ポストコロナ、ウィズコロナへの一つの道程として、私はヨーガを提唱する。
2022年3月31日
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[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。