≪静かなしあわせ≫
最近、大事な人が逝った。近しい存在で、健康診断でも引っかかったことがないほど元気、1週間前にも海釣りに行き、夜には友人との長電話で「またそのうち、一緒に飲もう」と言ったと後から聞いた。節分の明け方、「大難を小難に」の唱和が始まろうとする日、「お札を持っていると交通事故で車が大破しても体は無事だった」と言う話もあるのに、「なぜ?」「どうして?」。
居留守を使っていると知りながらもその家の雪かきをしたり、シルバー世帯のゴミ出しをするなど優しい人が突然逝くなんて!「なぜ?」「どうして?」と答のない問いが続いた。
最近一般にも浸透した感のある、【Grief-careグリーフ(悲嘆)・ケア】には、『悲嘆のプロセス』の段階がある。アルフォンス・デーゲン上智大学名誉教授によると、必ずしもこの通りではないが、行きつ戻りつしながら『立ち直りの段階』〜新しいアイデンティティの誕生へと進むという。
私の場合は、確かにデーゲン教授のプロセスの最初の段階、①精神的打撃と麻痺状態 ②否認 ③パニック などが怒涛のように押し寄せた。突然なことと普段から元気だったことが逝去の事実を「嘘!」「何かの間違い!」と思わせた。
現実の遺体よりも、思い出などの虚構が不思議なほど、とてもリアルに強く感じられた。
しかし、大きく激しく揺れる身体をヨーガによって少しづつ調えることによって、次の瞬間には再び揺れたとしても、その揺れは次第に落ち着きを見せるようになった。私が落ち着くと、あの人も落ち着く。否、あの人が落ち着いているのに私が「バタバタしていてはいけないなぁ」と自然に思えるようになった。あの人はいつも言う「いいよ」と。
このような状況で時にヨーガにならないヨーガもどきをしていても、不思議に心が騒がず、緩やかな湖面のさざなみを感じる事が増えてきた。たとえ束の間でも、穏やかな瞬間は「これもしあわせ?」と受容できるようになった。
得る事だけが幸せではない。増える事だけが幸せでもない。心が落ち着き、多くの人たち・多くのものたち、また、見えるもの・見えないものたちからさえも、緩やかに拡がりを持ってサポートされているという安心感、自分を信じられる嬉しさ、天命と思えるものを受け取れる喜びなども、生きるうえで大切なことである。
こうして少しずつ逝った存在を自分の中に統合しながら、『悲嘆のプロセス』は新たなアイデンティティを獲得し、より成熟した人格者として生まれ変わろうとする。この最終段階へ向かって私は不思議なほど、粛々と歩み続けている。
2015年4月1日
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[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。