≪ヨーガ者として≫
ヨーガの恩師、佐保田鶴治先生からは多くを学んだが、『ヨーガ者』というキーワードもまた、私の中で重要な意味を持っている。
ザワザワしい社会の中で、一人一人は平和を願ってはいても、結果的にはイライラ、自己中にならざるを得ない状況がはびこって久しい。そんな中で、佐保田先生が言われた『ヨーガ者』は、時に私の背筋を正してくれる重要なキーワードである。
佐保田先生は、「ヨーガの実践による智慧を日常に生かす人」の意味で、「我々は≪ヨーガ者≫です」といわれた。ヨーガの理論(もちろん重要であるがそれ)だけではなく、もちろん実践するだけでもなく、ヨーガの実践によって気づくというか、思い出すというか、覚(し)るというか、頭でっかちな知識ではなく、「そうだったのか!」「なるほど、それもありうる!」腑に落ちるような深い智慧が実践を通してやってくる。この智慧を日常に生かす人を『ヨーガ者』といわれた。
例えば、ヨーガの実践が深まるにつれ、体が調い≪調身≫・呼吸が調い≪調息≫・心が調う≪調心≫がおこると、心の水面が澄み、物事の実態が色眼鏡なしで見えるようになる。体の中の血液の流れをありありと感じたり、先ほどまでの荒い呼吸が落ち着くにつれ、何とも言えないほっこりとした気持ちになることがある。と、同時に、この体内で起こる変化は、「決して私の体だけのことではない」という思いも確認できるようになる。親しい友人、家族などの身内、それどころか見知らぬ他人、時には苦手な人に対してさえもこのような思いを馳せることができる。
結果、苦手な人がすぐに大好きにはならないとしても、「あの人の中にも、私たちと大して変わらない血液が流れている」と思うと、負の感情が薄れたり、ときに懐かしさ、愛おしさにも似た慈愛を感じることもおこり、また、人と人との間のボーダーラインが薄れ、自然も含めた大らかな世界を感じることもある。この世界観は原初的感覚ゆえに、人と人との関係性を再構築して新たな世界を気づく大きな力となると実感する。
このような、ヨーガの実践の深まりによる智慧と日常との関連は、ある種、螺旋階段のように、絡み合いながら上昇するように思う。
私たちはヨーガを通して得た智慧を日常に生かすことを心がけ、個人の心身の健康だけではなく、社会の健康、平和にも寄与したいと考えます。
2024年4月1日
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[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。