≪ポジティブ志向≫
コロナ禍が始まって間もなく3年になろうとしています。はじめは遠い国の出来事と思えたコロナは、あっという間に、世界中に拡がり、それでも他人事と考えていた私は、ヨーガの講座の休講に直面して急に身近な問題となり、重苦しい空気が流れました。これは、私たちだけではなく、どの職種、どの世代にとっても共通の問題で、多くの方が、「これからどうなるのだろう」「私たちは何をすればよいだろうか」という課題に直面したと思われます。
そのような風潮の中で、「ポジティブな見方をしよう」「今を楽に生きよう」という声が上がってきたのは、当然の成り行きともいえます。閉鎖社会の中で、少しでも解決を見出そうとするのは、人間の普遍的な欲求であるかもしれません。「前向きに生きよう」と意識的に行うことは、この時代、もっとものような気がしますが、それは本当に心の奥からの声なのでしょうか?
私は、ものごころ着いた頃から、体が弱くて同世代の子と一緒に遊べないことで、コンプレックスを持ち、自分を受け入れることができませんでした。何とか、自分を好きになりたいと思い、それなりに努力、具体的には、名僧と呼ばれる方の座禅会へ行ったり、名著と言われる哲学書を読んだり、講演を聞いても、それは私にとって解決にはなりませんでした。「広い心を持ちましょう」「あなた自身は、素晴らしいのですよ。それを受け入れてください」と言われ、そうしようと思っても、具体的な方法がないままでは、それは空論に過ぎず、時が流れていきました。
そんな時、耳に入った、ヨーガの恩師、大阪大学名誉教授(インド哲学)で日本ヨーガ禅道友会創立者の佐保田鶴治先生の「ヨーガをして、体が変わると、心も変わるんです」という一言は、一瞬「どうして、体を動かすことが心の変化に通じるのか理解できない。信じられない」と思いましたが、「それが本当ならすごいこと」と、大きな1歩を踏み出す原動力となりました。
その数年後、日本ヨーガ禅道友会に入会、インド哲学もヨーガにも縁のなかった私が佐保田鶴治先生の話されるインド哲学をわからないながらも、「何となく、今の私に必要な気がする」「このような考え方なら、私にも持てる」「面白そう」レベルで聞き、ぎこちないながらもヨーガのアーサナ(ポーズ)を見よう見まねで行っているうちに、体の異常なこわばりが少しづつほぐれ、心の執着からも自然に解放されていきました。それまでの多くの名僧、名著の言葉が、自分の中で成長し、「私は私でよい」「私は私の歩みで充分」と思えるようになり、それは「とてもうれしい」「幸せなことでもある」と実感できるようになりました。
時代の変化も関係しているかもしれませんが、私を悩ませていた「人と違うこと」は、もしかしたら「個性と思ってよいかもしれない」と肯定的に思えるようになったこともうれしい発見でした。
「物事を前向きに考えよう」と意識して思うのではなく、アーサナを通して≪身体の神秘さ≫≪いのちの計らい≫などを感じると、自然に「有難い」「うれしい」と思え、さまざまな出来事に出逢っても、せっかくの出逢いを大切にしようと自然に思えるようになりました。
どなたかが、「うまくいくからうれしい」のではなく、「うれしい気持ちを持てるからうまくいく」という言葉も、名言と思える昨今、ヨーガの普及は、いつの間にか、私のミッションとなりました。1人の個人が心身共に健康になると、その歓びは周囲の人にも拡がり、その結果、社会の健康へとつながります。
体を調える≪調身≫、呼吸を調える≪調息≫、心を調える≪調心≫を目指すヨーガは、人をホリスティックに再構築することを可能にする、多くの人にとって妥当な広い道と考えます。
このようなヨーガは今の時代にこそ、必要に思われます。
2023年1月1日
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[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。