≪新たな時代への想い≫
弟の親友、長野のリンゴ農家、イッチャンから蜜入りリンゴが届きました。
この夏の猛暑で、野菜や果物が成長する前に枯れる現象で、農家の方が大変な思いをされたことをニュースで知りました。
農家だけではなく、漁師さんも南のお魚が北海道でとれるなど、異常事態も放映されていましたね。
それでもこの季節、「少ししかできなかった、ごめん」と送ってくれ、感動しました。
いつもの半分の量、蜜無しもありましたが、感謝の気持ちは倍に膨らみました。
「異常事態だから仕方がない!」ではなく、一見、直接関係ないかに見える私たちも、本気で考え、実践しないと大変な状況はすでに始まっています。
一人一人が日常生活の中で、資源の無駄遣いをしない、優しい想いをもって過ごすなど、できることはあります。
話は変わりますが、『人新世「資本論」』(斎藤幸平著、集英社新書)には、「これからの社会を救う一つの概念は『脱成長』である」と書かれています。これは、一つのヒントになりうると、私は思いました。
『人新世の「資本論」』(集英社新書)で論じたことですが、2つの危機(経済格差と気候変動)をのりこえるには、「脱成長」型の社会に移行しなくてはなりません。
私たちはお金を手に入れるために、あまりにも働きすぎ、あまりにもモノを作りすぎ、その結果、健康を害し、環境を破壊している。そうしたサイクルそのものから抜け出すべきなのです。
確かにそうですが、私はこの理論だけで実践に至るのは難しいと思いました。
私たちは、ヨーガ禅(動くメディテーション)として、アーサナ(ヨーガのポーズ)を瞑想的に行います。体の内面を観察し、例えば、血液の流れや、神経が和らぐ感じ、体の奥から温かくなるなどを感じると、最終的にはエゴが薄れ、自然との一体感が感じられるようになります。ここまでくると、「仏教での無我の境地、空に近い」という言い方もできるでしょう。
このような実感を通して、「欲望の肥大は、心身に負荷をかけるので避けよう」「私の体に感じる愛おしさは、他の人(例えば、苦手な人)の体にも起こっている」と思うことがあります。個人に対する負荷は、やがて社会に対する負荷へと拡がるので避けようとしますし、また、その苦手な人には、すぐに大好きにはなれないとしても、苦手アレルギーは薄らぎます。結果、社会、人との関係性も健全なものへと向かうことは可能です。
こうして、体の中で自然に起こっている営みを実感すると、「有難い」という感謝の気持ちが自然に起こることも、『脱成長』を考えるうえで、貴重で重要な要素と考えます。
『脱成長』は、日本で古くから言われる「『知足』(足るを知る)をベースにすると実現しやすい」とする説もありますが、いきなり『知足』と言われてすぐに理解できる人は、少ないのではないでしょうか?
しかし、それぞれの、自分の身体を通しての実感から沸き起こる思いや原初的感覚は、心の深い領域から発する声だけに、その人の原点となり、理屈を超えて人にも共鳴を起こしやすいように思います。
1例ではありますが、このようなプロセスを通すことによって、多くの人にとって『脱成長』は、妥当な方法論となると考えます。
私は長年のヨーガ実践を通して、『心の安定や静けさ』をもとに、日々を心豊かに暮らすことを理想とし、ヨーガクラスに長年続けてこられる方々とも共有できることに喜びを感じています。
「パラダイムシフト」「発想の転換」確かに、これまでの考え方ややり方ではもはや各方面で行き詰まり現象が起こっています。一人一人が、今、できることを、理屈ではなく、日常生活での実践として、チェンジしないといけないところまで来ているのです。
新たな時代は、一人一人が真摯に自分に向き合い、心の深いところからの声を聴き、実践することから始まる様に思います。
それは決して奇抜な突拍子のないことではなく、人間としての原点を大切にという、ごくごく当たり前の見直しのように、私には思えます。
2024年1月1日
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[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。