京都のヨガ教室 アルジュナヨーガ研修会では主宰の渡辺昧比が佐保田鶴治先生に師事して学んだ『佐保田ヨーガ』をベースに、心身の癒しを深める指導を行っています。

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エッセイ
 
 
渡辺昧比

「季節のエッセイ」

アルジュナヨーガ研修会代表、
渡辺昧比の季節のエッセイをお届けします。

≪命の現場で出会ったこと≫

5月から種智院大学 [臨床密教センター] 主催の≪臨床宗教師養成講座≫を受講している。
≪臨床宗教師≫とは、被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で心のケアを提供する宗教者で、欧米のチャプレンに対応する日本語として考えられた。布教や伝道を目的とするのではなく、高度な倫理に支えられ、相手の価値観を尊重しながら、宗教者としての経験をいかして、苦悩や悲嘆を抱える方々に寄り添う。 仏教、キリスト教、神道など、さまざまな信仰を持つ宗教者が協力している。

この養成は、2011年の東日本大震災を機に、東北大学ではじまり、関西では、高野山大学、龍谷大学、種智院大学が取り組んでいる。人は死に直面した時、「死への恐怖」「無念さ」「後悔」など、さまざまな思いを抱く、また、親族や友人を不慮の事故や災害などで失った人たちにも、それぞれの思いがあるに違いない。このような人々へのケアとして寄り添う≪臨床宗教師≫が注目されている。最近では、≪臨床宗教師≫の役割として、死に向かう人々や見送った人々へのケア≪グリーフケア≫だけではなく、生きる苦しみに直面している人々へのケアも役割の一つという考えも出ている。

私が≪臨床宗教師≫について考えるようになったのは、数年前からである。いくつかの大学を検討したが、受験資格が該当せず、見送っていた。今春、母の逝去の半年後、「自分のグリーフケアになり、母の供養にもなり、また、喜びもあるが苦しみも深かった母の介護を通して、同じような思いの人々の役に立ちたい」と言う思いがふつふつとわき上がっていたその時、思いがけず種智院大学から「受験資格緩和」の連絡があり、急遽、レポートなどを作成、5月からの研修を受けることができた。この研修は、石山寺や三井寺での座学(講義、ワーク、ロールプレイ、宗教的涵養など)と実習(病院や施設などへの院長に随行したり、患者やその家族との面談)の2本立てで、3ヶ月という短期間ではあるが、実のある濃い研修である。この中で、研修内容の特殊性にも驚いたが、何よりも私を驚愕させたのは、実習での≪現場の空気≫であった。そこで私は、改めて命の営みの厳粛さと生きるエネルギーを痛感した。その一つを以下に挙げる。

その日、私は実習先のQクリニック院長の訪問診療に随行していた。車中で、「次に行くRさんは先日97歳のお誕生日を迎えたばかりなので、診療後、みんなで ♪ハピー バースディ トゥ ユゥ♪ を歌おうとナースたちで話しました」と看護師さんが院長先生に話をしていた。私は、いい話と思い、後部席で聞いていた。突然、院長先生が、「渡辺さん、音楽はどう?」と言われ、私は、突然のことで、「母が脳梗塞で高次脳障害になり、治療法がないと言われましたが、自分なりに調べて音楽療法が奇跡的に有効だった例があったので、音楽療法の初級を学びました」と答えた。
間もなく、Rさんの自宅に着いた。Rさんは寝たきりの状態であった。Rさんのすぐ横には院長、血圧や体温などを測る看護師さん、記録係の方がおられ、その後ろに私は立っていた。看護師さんの「Rさん血圧を測りますよ」「体温を測るからボタンを外させてね、ご免ね」や院長先生の「Rさん、えらい(苦しい)ところないか」「ここは痛くないか」にも返事は聞こえなかった。院長先生は、終末期に入り、言葉での返事は無くても、「表情や微かな動作でコミュニケーションを取ろうとする患者もいる。そういう返事があった時は、『分かった』とこちらも返事をする」と言われたことを思いだし、何かの返答があるかとよく見たが、言葉の返事はもちろん、体の動きによる返答も私の立ち位置からは全く感じられなかった。
そうこうするうちに診療は終わった。看護師さんが、「Rさん、こないだ、97歳のお誕生日だったね。これからみんなで、 ♪ハピー バースディ トゥ ユゥ♪ を歌いますね」と言い、院長先生と看護師さんたちがRさんの枕元に集まった。院長先生は、私に「渡辺さんも一緒に」と言われたが、実習生の立場で参加して良いか迷った。しかし、先生の再度の「一緒に!」に促され、私も皆さんの輪に加わった。
♪ハピー バースディ トゥ ユゥ♪ ♪ハピー バースディ トゥ ユゥ♪ ♪ハピー バースディ トゥ Rさん♪ ♪ハピー バースディ トゥ Rさん♪

歌の中の、名前を呼び掛けるところへ来たとき、Rさんは突然、大きな声でハッキリと「うれしい!」と叫び、両手で顔を覆い、号泣した。先ほどまでの寝たきりのRさんとは明らかに違う何かが、そこにはあった。私はしばし、呆然とした。こんなことがあろうとは!息子さん御夫婦も、感慨無量の様子で立ち尽くしている。何秒間経ったであろうか、そんなに長くない時間が経過し、院長先生はRさんに「また来るね」といって部屋を出、看護師さんや私も外へ出た。

これはいったい何なのか!しばらくして落ち着いてから、看護師さんに私は聞いた。「たまぁに、そういうことはありますよ、めったにはないけれど…。こういうこともあるから、私たちも頑張れるんです」と。なるほど、Rさんの息子さんご夫婦もそうかもしれない。私も体験したが、介護はとても重く苦しいことが多く、疲れがたまり、やりきれない思いを持つことも多い。良いことではないが、思わず、きつい言葉を吐いてしまうことも少なくなかった。それを後悔しても、また繰り返し、自己嫌悪に陥る介護者が多い。そんな中で、このような体験が一度でもあると、その後の生活に微かではあったとしても一筋の光が射すように思われる。私の場合もこのような光にすがる思いで介護が続けられた気がする。だからと言って、 ♪ハピー バースディ トゥ ユゥ♪ を歌いさえすれば良いという訳ではもちろんない。死に直面する濃い時間の中で一体感がおこると、その一体感はその場に居合わせる人々だけではなく、さらに拡がり、周囲の雰囲気全体から自然との一体感、大いなる存在へと果てしなく拡がる。この時、何かしらの≪自然の配慮≫が働くことがある。

国立がん研究センター理事長特任補佐の荒井保明先生によると、「死に直面すると、ふだんは何とも思わないことが感動的に思える」と言う。私たちは、ふだん、誕生日に、♪ハピー バースディ トゥ ユゥ♪ を歌ってもらうだけで、このような感動はまずしない。時には、「何だ、歌だけでプレゼントは無いの?」と不満を持つのが普通かもしれない。しかし終末期のRさんの内面には、この歌で深いものがこみ上げた。誰しもが死が近づくと、不安を感じる。高齢になるとなおさら。90歳代後半のRさんもそうだと思う。体調のせいもあるだろうが、初めは、話しかけてもハッキリした返事がなかった。しかし、スタッフが一つになって心を込めて歌ったことがRさんの琴線に響いたと思う。死が近づいて不安なRさんに、その人のアイデンティティを表わす名前を呼び、歌で誕生≪生きる≫を再認識させたことによって、Rさんの心に温かいものが溢れ、結果、Rさんの「嬉しい」という号泣につながったと思う。

このようなひと時は、奇跡に近いものであるが、決して奇跡そのものではないと私は母との体験を通して強く思う。丁寧に状況を見つめて対処していると、微かではあるが一条の光が射す瞬間がある。介護には苦しく、切ない時間が多いが、時としてこのような喜びともいえる煌めく瞬間があると、私は母との体験や実習を通して痛感する。

2018年7月1日

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