≪緩やかな立ち上がり≫
5月中旬、母が自宅付近で転倒しました。大出血や骨折など、大事に至るようなことでなかったのは幸いですが、足首や膝に力が入らないため立ち上がれず、抱え込んだり、持ち上げたりもかなわず、移動は大騒動でした。私も良くなりかけた膝の炎症を再発、悪戦苦闘の日々でした。
土日を挟んでのことで整形外科に行ったのは転倒後まる2日、「救急車を呼んでも良かった」「緊急外来」「下手にさわらない方がよい」「お母様を短期入院させてあなたが休養すればよい」など友人が心配のコメントをしてくれましたが、どれが一番良かったのか、今でもわかりません。正解はないかもしれませんね。
治療後は、ふだんしない注射や湿布に反応したのか、足がひどく晴れて(浮腫み?)心配しましたが、知人の鍼灸師に来てもらったら母も安心した様子でした。
ホッとした頃、今度は聴力の低下で補聴器をつけてもほとんど聞こえなくなりました。そしてその次は感染症の疑いなど、まるで障害物競走のように次から次へと事が起こり、やっと落ち着いたと思うのは1か月以上後の6月下旬です。よく言われることですが、「体は一つながり」。1箇所が具合悪くなると、連鎖的に全体に影響が及ぶことを身をもって知りました。
今では聴力は以前ほどまでは行きませんが少し回復し、足の腫れも日にち薬で薄紙を引くように少なくなり、歩行には杖は手放せないものの、家の中の動きはややスムースになりました。時には杖なしで簡単な料理をしたり、片づけや掃除も短時間ながらできるようになりました。
こうして今は、「このような緩やかな立ち上がりが自分たちには良かったのでは?」という思いです。入院したら、プロの方が治療はもちろん、トイレ・食事・入浴など日常の生活をしっかりサポートしてくれ、私もずっと楽だったでしょう。しかし紆余曲折し、ジタバタしながら過ごした日々はかけがえのない『とき』です。「訪問診療の資格には該当しないから診療には行けない。でもお母さんを見に遊びに行くことはできる」と言って来てくれた先生へは感謝はもちろん、「こんなことって現実に本当にある!」と感動的なドラマを見る思いでした。もちろん、介護関係者はもちろん、多くの友人知人に励まされたり、自宅へ差し入れしてもらったり、それまであいさつ程度だったマンションのご近所さんやその娘さん、さらにはそのボーイフレンドまで応援してもらったり……。
僭越にも、普段は特別な思いも持たずになんとなく通り過ぎていたような人との関係性を、改めて組みなおした思いです。とても大切なことを気づかせていただきましたし、改めて≪頂いていたことの大きさ≫に驚き、「有難さ」を痛感しました。
そんなこんなが力になって、緩やかで時間がかかりましたが、母も私も立ち上がれたように思います。
みなさん、ありがとう! ありがとう! ありがとう!
私も微力ながら、困っている人に必要なサポートをできるようになりたいと強く思った昨今です。
2014年7月1日
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[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。