≪ヨーガ禅、再発見!≫
所属する日本ヨーガ禅道院が宗教法人の認可を受けてから昨年、50年目を迎えました。
当時、初代会長の、佐保田鶴治先生(大阪大学名誉教授≪インド哲学≫)は、「ヨーガはアクロバットだ」「ダイエット」など、世間のさまざまな誤解を払拭しようと、インドから伝わった『ヨーガ』を、あえて『ヨーガ禅』(動禅、動くメディテーション)として、広めようとしました。
私も弟子の一人として、『ヨーガ禅の普及』を心がけていますが、最近改めて『ヨーガ禅』の素晴らしさを再認識しています。
『ヨーガ禅』では、アーサナ(坐法)について、4つの原則を守ります。
- 動作はゆるやかに
- 意識を動作に向けて(次第に内面へ)
- 動作に呼吸(いき)を結び付けて
- 緊張とリラックスの適度な交替(特にリラックスを大切に)
[動禅]への道としては、他の原則は勿論ですが、この中でA「動作に意識を向けて」が特に重要と思われます。意識を向けることは、『八支ヨーガ』(アシュタンガ・ヨーガ)の6番目の≪凝念≫(集中)に通じ、7番目の≪静慮≫、そして、8番目≪三昧≫へと続くことから、アーサナだけでも心の寂静への方向へと強く導くからです。
佐保田先生が書かれた『ヨーガのすすめ』によると、この説明として以下が書かれています。
ひとつひとつの動作に当たっていつも、その動作に関係するおもな身体部位にココロを差し向けること。例えば、腕を左右に水平に上げる動作をするときには、ゆっくりと力を入れて腕を伸ばすと同時に、腕に注意を注ぐ。うわの空でしない。
この≪四原則≫のA「動作に意識を向けて」の解釈、実践はさまざまなように思います。あまり重きを置かない方もいますし、「うわの空でしない」程度にとどまる方もいます。「動作に意識を向けて」を「うわの空でしない」と解釈することは間違いではありませんが、「うわの空でしない」は「意識を向けること」の初めの一歩です。
私の場合は、佐保田先生が当時よく言われた、「内部感覚を大切に」「深部感覚に意識を向けて」を基に、実技指導の初めのころは、体の具体的な内面(使っている筋肉の変化など)を感じることを勧め、次第に深部へ、広範囲へと観察が深く拡がるように助言します。
こうした結果、次のことが起こるとされます。
- 『ヨーガ・スートラ』〔坐法〕第2章46〜48によると、「寒熱・苦楽・毀誉・褒貶等の対立状況に悩まされることはない」
- ヴィヴェーカナンダ・ケンドラでは、「体がリラックスするに始まり、神経が和らぐ、体内の感覚、例えば血液が流れる感覚がわかる、最終的には自然との一体感を持てる」
- ルーマニアの宗教哲学者、M.エリアーデは「人間を限定している条件を無にすることができる」
一つのくくりとして、先に述べた、アーサナ・呼吸法・瞑想は大きな流れではありますが、『ヨーガ禅』には、アーサナの中に(動作に呼吸を合わせるという意味で)呼吸法があり、さらに(動作に意識を向けることで)瞑想も入っています。これによって、アーサナ・呼吸法・瞑想を個別にするだけでは得られなかった深い寂静が得られ、特に最近では、海外の心理療法で注目されつつある一つの身体技法になっているようです。
何事も、慣れると日常的に行いがちですが、改めて、一つ一つのアーサナをヨーガ禅として丁寧に行うことによって、瞬間瞬間の≪いのち≫が瑞々しくよみがえる、生活全体が特に変わったことがなくても心豊かになり、有難く思える、そのような日常こそ、多くの人々が長年、望んでいたことではないでしょうか?
『ヨーガ禅』に出会い、続けられた幸せを改めて痛感している、昨今です。この喜びを多くの方に味わっていただきたいと念願しています。
2024年7月1日
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[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。