≪コロナ禍での、『持続可能なあり方』への提言≫
最近、『持続可能な sustainnable』という言葉を良く見聞きします。「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」のことで、1987年に、ブルントラント・ノルウェー首相(当時)の「地球環境を考慮した節度ある開発が重要である」と発言したことに端を発しました。今、私たちが暮らす地球では、気候変動や貧困、紛争や感染症など、さまざまな課題に直面しています。そのためには、私たち一人ひとりの思い、行動が非常に重要です。
具体的な行動としては、次が挙げられます。
家でも外でも、食べ残しをしない工夫をする。
3R(Reduce, Reuse, Recycle)を心がける。
マイバッグ・マイボトル・マイ箸を持参する、などです。
そのための一つの理論的方向性として、『人新生の「資本論」』(斎藤幸平大阪市立大学准教授著、集英社新書)も話題となっています。中でも、私は、斎藤氏の掲げる≪脱成長≫に関心を持ちました。≪脱成長≫では、お金のあるなしにかかわりがなく、みんなにとって大切なものを、みんなで共有できる豊かさを大切にします。
斉藤氏は、≪脱成長≫は現実的にも充分可能で、「特にポストコロナへの一つのヒントになる」と考えられているようですが、私は、その前に(あるいは)同時に、人々の意識革命が必要と考えます。
人には自我があり、だから生きていけるわけですが、自我がこれほど大きくなりすぎた現代人には、いきなり、「みんなと…」「みんなに…」という発想は難しいと思われます。
そこで一つの方法として、ヨーガの実践を通して、「自分の体の中の血液の流れを実感する」、「神経が和らいで、心地よくなる」、「筋肉が緩み、気持ちもゆったりする」、瞑想の後では、「自然との一体感を感じる」「他者(人だけではなく、植物や動物も)の命もいとおしく感じる」など、≪身体を通しての自分の心の変化≫を実感すると、やがてそれは、他者の≪身体≫へも気持ちを馳せることができます。そうして、自分を知り、他者を知ることで、結果として、【みんな】という発想が可能になると考えます。自分をリアルに知り、他者をリアルに知ることによって、机上だけはない【みんな】への思いがリアルになるのです。
すると、上記に挙げた、『持続可能な行動』も、「しましょう」から「したくなる」「せずにはおられない」と、自発的な行動へと変容します。これこそまさに、『持続可能なあり方』ではないでしょうか?
この意味でも、私は、【ヨーガの普及】を提唱いたします。
2021年12月21日
< 最新のエッセイに戻る
[皆既日食]
ヨーガの一番の目的は、心が変化することです。自然との一体感や宇宙意識の体験は、その人の内面を深め、その後の人生を豊かにします。