~ヨーガは生き方のレッスン~ まいまい(昧舞)ブログ

アルジュナヨーガ研修会主宰 渡辺昧比のブログ
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統合医療への道 4

ヨーガを始める

1974年5月人間医学社勤務時代、月1回の講演会≪中庸会≫で大浦孝秋会長を進行係に、『日本ヨーガ禅道友会(日本ヨーガアシラム)』を立ち上げたばかりの佐保田鶴治会長(大阪大学名誉教授)と『求道実行会(沖ヨガ道場)』会長の沖正弘会長が「ヨガと健康」をテーマに、ヨーガを通しての心身の健康観を存分に語った。

福田平八郎、漣(さざなみ)(大阪近代美術館所蔵)

左から大浦孝秋会長、大浦夫人、佐保田鶴治先生、沖正弘先生
この会場には、佐保田鶴治先生に同行した石田祐雄先生はもちろん、教師仲間では、尊敬し大好きだった故山田文子先生、面倒見のよい中山孝子先生、特に『ヨーガ入門』新装版の編集に関わった時には、何でも相談した松岡善雄先生(現、日本ヨーガ禅道院・教導)たちがそれぞれ別の場所にいたことが後に分かった。ここに心理学で言う、『布置』を感じるのは、私の思い込みであろうか?

『布置』constellationとは、元来、占星術において星の配置の意味を持つが、直接関連の無いことも、何かの関連が得るというふうに全体性を見るとして、特にユング派の精神分析で重要視される。この会場に来ていた、一見別々の他人数人が、後日、ヨーガアシラムの礎となる第0期、第1期教師の主要メンバーとして集うことになる。

話があらぬ方へ行ったが、この講演会の中で、仕事をしながら私の耳に入ったのは、「ヨーガをしてカラダが変わると、……(少し沈黙)ココロも変わるんです」の一言(これについては、ブログ別記【佐保田鶴治先生の、心に響く言葉】4参照)だけであった。

こうして私はヨーガを始めようと決意したが、人間医学社では、日本ヨーガアシラムが開かれる土日はイベントが多く、会長秘書の私にはとても休めるような状況ではなく、「ヨーガを始められない」悩みに悶々としていた。

そんなある日、会長の書斎で資料整理をしていた私に会長は突然、「君には心の分野の才能がある」と言った。当時の私は、内面的には西洋から東洋への道のりを歩き始めていたが、まだまだ外見はキャピキャピの現代っ子であった。また、妙なテレで、内面の変化を見せないそぶりもしていた。
そんな中で大浦会長の一言は、「何も言わなくても、私の内面を見守ってくれる人がいる」と嬉しいショックで、「ただの頑固爺さんではなかった(失礼!!)、信念のある立派な人だ」と心がほくほくと深く耕され、深いところからの安心感と喜びで満ちていった。

その頃、『宗教と超心理学会』の会長、本山博博士を中心とした講演と瞑想の会が、人間医学社の2階ホールで行われていた。大浦会長は、「心の世界はまやかしが多いから、正しい道を歩むように」と言い、本山先生の瞑想を強く勧めた。私は、当分、佐保田先生へ師事することはできそうも無いと思い、本山先生に瞑想の師事をうけた。

本山先生は、見るからに温厚かつ深く熟慮をたたえた人物で、初めての瞑想では、私の周りを本山先生たちが囲み、この世のものとは思えないような至福感を味わった。30分の瞑想も、初心者には長く感じられるのが常であるが、私には、あっという間で終わったのが惜しいほどであった。

この後、喜び勇んで瞑想を続けようとしたが、まもなく、瞑想を続けることができないようになった。瞑想時に印を組むと、指にトラブルがおこるようになった。決して力を入れているのではない。後に友人で『宗教と超心理学会』講師の岩崎正春先生、現在はサイコシンセサス(統合心理学)学会副会長(HPあり)に聞いたら、「ちょっと離せばよかった」と言われたが、当時は思いつかず、瞑想する→指にトラブルが起こるので止める⇒心の安定がほしいので瞑想する→指のトラブル を繰り返し、瞑想の会が京都市内へ移転したこともあって、会から離れてしまった。

「瞑想は素晴らしいが、今の私には、今のままの身体と向き合うことが必要」と思ったからである。私は新聞社勤務、人間医学社(編集部→会長秘書)勤務を経て、フリーランスのライターとなった。時間的にも余裕ができたので、「やっと、佐保田鶴治先生へ師事することができる」と、日本ヨーガアシラムの門を叩くことにした。

 

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