~ヨーガは生き方のレッスン~ まいまい(昧舞)ブログ

アルジュナヨーガ研修会主宰 渡辺昧比のブログ
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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記31

毎週木曜と土曜の午前に『アルジュナヨーガ(佐保田ヨーガ)』でお世話になっている【JEUGIAカルチャーKYOTO】受付の方々の評判がとても良く、私たちも気持ちよくヨーガのスタートを切ることができて喜んでいます。                                             
 「丁寧に対応してくれる」他所から来られた方は「京都らしくて大事にされている感じがして嬉しい」等々。先日店長のYさんに言ったら、「実は…」とにっこり!全国で52か所ある【JEUGIAカルチャー】参加の≪おもてなしの美心(びじん)≫コンテストでグランプリを獲得されたそうです。                                                  
優しい言葉使い、相手を敬う態度、細かなことでも面倒がらずににこやか・速やかに対処する心配りなど、私も以前から見習うことが多いと感じていました。                                
ヨーガのバイブル『ヨーガ・スートラ』には、ヨーガの定義として「ヨーガとは心を止滅させること」とありますが、一般的には心の安定や豊かさ・成長を促します。「波長が合う」という言葉がありますが、出会いのご縁に幸せを感じます。    

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記29

『合掌童女』鹿児島寿蔵

『合掌童女』鹿児島寿蔵

年度末ということで今週のヨーガレッスンは、後半『ありがとう瞑想』をしています。

 

昨年末した『ありがとう瞑想』が好評だったので、さらにバージョンアップしています。

 

今迄に出会った人たち・ものたちやこれから会うかもしれない人たち・ものたちへの『ありがとう』の波動は世界へ拡がり、また同時に自分の深い領域にまで降りて自他が繋がりながら存在する喜びを味わうことができます。

 

クラスに空きがあれば、1日体験でも受講していただけます。

 

 

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渡辺昧比の介護者(ケアラー)日記④

6月16日(日)日本ケアラー連盟主催の『ケアラーフォーラム2013』で東京へ行ってきました。

ケアラーを支える仕組み

ケアラーを支える仕組み

イギリスやオランダには程遠いですが、東京では、介護者のためのヨーガやミーティングのできるカフェ、旅行等が定期的に行われています。また、各地の介護者ケアも報告、nhkテレビも取材、翌日放映がありました。

 

介護者の介護の必要性は、個人的問題を超え、≪介護がん≫発症や被介護者の健康状態、離職にもかかわるとして、社会的問題にもなりつつあります。
私も微力ながら、ヨーガ者の立場でかかわっていきます。

各方面のお力添えをよろしくお願いいたします。

 

『介護者(ケアラー)のヨーガ』京都リビングカルチャー倶楽部    木曜13:30-15:00http://arujuna-yoga.com/classroom.html

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渡辺昧比の介護者(ケアラー)日記③

人間とは……ケアする存在

P.ピカソ『ブーケ』 花束を二人で持っています。

P.ピカソ『ブーケ』 花束を二人で持っています。

「人間とは…」の問いに、先人たちが多くの答えを用意している。

「知性を持つヒト」(ホモ・サピエンスhomo sapiens)に始まり、 「ホモ・クーランス(ケアするヒト)」homo curans は広井良典氏が提唱した概念である。

 

「親が子の世話をする」のは動物全般で行われるが、「子が(老いた)親の世話をする」のは人間だけである。

「ケア」とは、狭義では『介護』であるが、広義では『配慮・関心・気遣い』を意味する。こう考えると人間は、「ケア」し、また、「ケア」される存在である。

 

親を介護し、また、介護した友人たちは口々に言う。

「母を介護している時は、自分が母の面倒を見ているつもりになっていたが、それはとんでもない間違い。母に見守られていたのは私の方。幸せだったのは、私」

「大変な世話をしているのに、ふっと癒される瞬間がある」

「認知症になって多くのものを忘れ、今の自分の状態も忘れても、母として娘の私を本気で心配してくれる」

 

私自身は、10年前に亡くなった父との鮮明な思い出が忘れられない。

いつものように入院している父の病室で、主治医の回診を見ていた時のことである。

80歳を超え老衰した父の肉体が目の前にあった。ほとんど崩れ落ちそうな肉の破片の父の体を見たとき、昔見た老女の彫刻を思い出した。老女は体型も一般論としては美しいとは言えない。顔にもシミやしわが刻まれている。

それでも、それだから、強く訴えるものがあり、私は「この彫刻も美しい!」「この彫刻は美しい!!」と感動した。

 

その時、父の体を見たときも、それに劣らない感動があった。表現はふさわしくないが、「ここから私は生まれた」と、厳粛な生の原点に触れた思いで、「だから私はここにいる!」と感動した。

どこの家庭も問題があるだろうが、若い頃の私は父との関係性が重荷であった。ヤンチャで無鉄砲な私に対し、親ごころであることは承知ではあるが、「良識」「常識」を教え諭す父とは受け入れられない部分があった。父の入院中の介護は、私にとっては父との関係性を修復する絶好のチャンスと思い、できるだけのことはした。

その結果、この感動は父からのラストでビッグな答えであった。十分すぎる『お返し』に私は満ち足りた。

 

M.メイヤロフのいうように「一人の人格をケアすることは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することを助けるのである。…他の人々をケアすることを通して、他の人々に役立つことによって、ケアするヒトは自身の生の真の意味を生きているのである」のであろう。

 

とはいうものの、介護に関しての問題も社会政策として山積している。個人レベルでも介護には休みがなく、時には疲労困憊でダウン寸前になったり、重荷でつぶれそうになる時は誰にでもある。がむしゃらに頑張るのではなく、小休止を忘れずに過ごしたい。

 

『ちょっとお茶する』『ちょっとお月様を見る』『ちょっと散歩する』など一服を入れることが大切である。もちろんヨーガのリラクゼーションや、気持ちのゆとり、他の視点からの眼差しも私には大きな力となっている。

 

私の場合は、この季節、特に、モーニング・ヨーガが良い。さわやかな空気を全身で吸いながら、緩やかに体を動かすと、忘れかけていたこと、そろそろしないといけないこと、急用ではないが大切なことを、モーニング・ヨーガはそーっと思い出させてくれる。「そろそろ出番ですよ」と、そのまま沈んでしまいかねない深い混沌とした意識の中から、意識化・行動化しやすい領域へと優しく誘導してくれるように感じる。

 

こうして一服を入れることによって、日常の厳しさを一時的にでも遮断し、非日常の世界の空気を取り入れることができる。とかく見失いがちな自分を取り戻しながら、ケアすること。それによって、ケアされる人、ケアするヒトもともに豊かになれるのであろう。

先ほどの広義・狭義のケアを考えると、ケアされる人、ケアするヒトは入れ替わることもある。ケアする人はまた、ケアされるヒトでもある。

 

これは今の私の、「道は遠し」の感はあるが大いなる理想である。こう考えると、楽ではないが、自然に微笑みが浮かぶ気がする。

『介護者(ケアラー)のヨーガ』京都リビングカルチャー倶楽部    木曜13:30-15:00http://arujuna-yoga.com/classroom.html

 

参考文献 『ケアの本質』M,メイヤロフ著、田村真・向野宣之訳 ゆみる出版

『ケアを問いなおす』広井良典著、ちくま新書           他

http://arjuna-yoga.com/

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑳

山村都市交流の森

山村都市交流の森

まだまだ暑さは続くものの、ふっと涼やかな風が吹くなど、夏の終わりを感じさせるこの頃、(財)京都市森林文化協会、『山村都市交流の森』からのオファーで、8月23日(金)【森林浴&ヨーガ体験】をさせていただきました。

町中より「3~5度は涼しい!」と言われるように、さわやかですずし~い!!

ハンモック

ハンモック

ヨーガを始めるまで、少々時間があるので、思い思いに古木のジャングルジムによじ登ったり「わ~い!遠くが見える!!」、大人用ハンモックでzzz…、夢の中。

 

すぐそばにある森の工房『もくじゅ』には、カスタネットから椅子・机まで木工品が所狭しとあり、木の香りでいっぱい。思わず深呼吸しそうになります。

 

 

 

ヨーガのポーズ
ヨーガのポーズ

中心の『翠峰荘』2階の和室でヨーガをさせていただきました。木々の香りと感触、さわやかな風を満喫しながらのヨーガは最高でした。体中の細胞が大きく伸びをしているような解放感、周囲の木々に守られているような安心感、自分で自分の体を使い、呼吸を使い、心(意識)を使っての、「自律性のためのヨーガ」です。

今回のヨーガでは、前後に心身の健康度を簡単な方法で調査しました。分析ができ次第、一部、アップします。
ヨーガの後は、珍しいクロモジ茶と、杏仁子の塩漬けを真ん中に米粉を使ったスィーツで、ミーティング。すっかり満足の表情で帰路へ。「楽しかったね」「スッキリした」「心身共に楽になった」などの声を聴き、笑顔で別れを惜しみました。

 

 

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、、ときめき日記⑰

Facebookでの対話より

鹿児島寿蔵『合掌童女』

鹿児島寿蔵『合掌童女』

昧比 正直なところ、高齢(88歳)で聴力障害のある母との生活で、悲劇のヒロインになりかけることはあります。でもそこにとどまって(バランスのポーズでいえば、倒れずに何とかとどまろうとして)いると、ふっと天啓が降臨か?「人間っていいところもあるなぁ」「これは人生の意味かもしれない」と感じる瞬間もあります。これは私には至福と思えますし、また、個人を超えた普遍性とも思えます。その辺をシェアしたいという思いも、『介護者(ケアラー)のためのヨーガ』開講の理由の一つです。
お友達 お母様の介護も大変なことと思いますが、その時にバランスを保とうとしながら、「天啓が降臨か?「人間っていいところもあるなぁ」「これは人生の意味かもしれないと感じる瞬間もあります」というのはまたヨーガの境地にも似た素晴らしいことのように思えます。
昧比 人生、苦い味もあるから、味に深みがでて…。じんわり、いいですね。

ありがとうございます。この辺も多くの方と分かち合いたいというのが最近の私の強い思いです。

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑪

間もなく小暑。梅雨明けが近づき、暑さが本格的になるころですね。

夏用のお抹茶茶わんを出しました。なかでもお気に入りは、≪青海波≫です。

抹茶平茶碗≪青海波≫

抹茶平茶碗≪青海波≫

≪青海波≫は海波を形どった紋様を扇状に重ねあった模様で、名前の由来は、舞楽≪青海波≫に使われたことから来ています。緩やかな波の形から、穏やかな日々をねがう吉祥文様とされていますが、異説もあります。

紀州、熊野灘に≪青海波≫が施され、渡海僧を霊界へ送る儀礼を思わせる『那智参詣曼荼羅』があります。ここでの海を心と見立て、波に載って奥へ行く風景は、スピリチュアルな旅立ちとも考えられます。 

茶道の点前では手の動作、足の運びなど文字通り、一挙手一投足を決められた通り行うことから、茶道をある種の『瞑想』ととらえる心理学者や哲学者も少なくありません。この『瞑想』による心の変化は、訳の分からないトランス状態の『忘我』ではなく、覚めた意識でお湯の湧く音、すり足の音など普段なら気づかないようなかすかな音さえ、響くように聞こえる『覚我』で、これはヨーガの後の余韻に似ています。ここでは雑念が消え、心がほのぼのとしています。

お茶を飲むだけのことで「道」になるのは、心の変化が確認できるからでしょう。

私も、暑い夏ふさわしい冷たい氷を浮かべたお抹茶を頂きました。

口の中に涼気が拡がり、さらに全体へと拡がります。

関心のある方は、お試しくださいね。

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑩

吉田山荘カフェ『真古館』で森の妖精になる!

カフェ、真古館

カフェ、真古館

 

ヴィヴェーカナンダ生誕150年記念講演会の後は、『吉田山山荘』のカフェ『真古館』へ行きました。

ある雑誌の紹介に「森の中の妖精になれる場所」とあったのを思い出し、ワクワク、いそいそと4人の妖精希望者たちは森へ向かってまっしぐら。 

『真古館』は、元東伏見宮家の別邸を活かした『吉田山荘』の敷地内のガレージを改装してカフェにしたものです。

店内では、床・梁・アンティーク家具などすべてが木製で懐かしい気持ちになりました。

雨に洗われいっそう美しい楓や桜の木々の緑を通る風に「きもち いい~!」

自然素材にこだわったケーキやお福もちも「う~ん、おいし~い!」

4人の妖精たちは、森の景色『眼福』・木々の葉擦れの音『耳福』・お茶とスィーツの香り『鼻福』と味『舌福』・そよ風が頬をなでる触感『身福』で五感満足、満ち足りた気分で下界(?!)へ戻りました(*^_^*)

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑨

Bee free  自由であれ!

アンスティチュー・フランセのお庭

アンスティチュー・フランセのお庭

昨日(6月22日)、京都でインドの聖人、ヴィヴェーカナンダ生誕150年記念講演会があり、行ってきました。 

講演の中で印象に残ったのは、「be free!自由であれ」です。 

以下は、講演の内容ではなく、私が考えていることですが、

『自由』とは禅語で「自らに由る」、お釈迦さまの言葉でいえば、「自分自身を拠り所にする」ことで、その時の気分や感情で気ままにすることではありません。

心の落ち着かせ、自分に深く問いかけ、深いところからの自分の声を聴いて行動することの大切さは現代にこそ重要と思います。

このあたりにもヨーガの現代的意義を痛感します。

会場のアンスティチュー・フランセ(旧関西日仏会館)はこじんまりとした清楚な建物で、よく手入れされたお庭には雨を含んだ紫陽花がグリーンの中で彩りを添え、スワミ・サッティャローカーナンダ師の落ち着いた語りが心に沁みました。

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑧

友人のみっちゃんからのシェアです。心温まる良い風景です。

有機農業始めました。

有機農業の草取り風景

有機農業の草取り風景

無農薬有機の農業の第一歩を踏み出しました。

やってみると体をいっぱい使って汗をかき一つ一つの作業が終わる度にクタクタですがなぜだかゲラゲラと笑えるくらい楽しくて、お腹はペコペコ、夕飯の美味しいことです、

今日は草取りをしました。昭和の頃の農村の風景です。

農薬をパラパラするのでなく、水田の中を一歩一歩歩き続けました。

まるで持久走の様です(笑)タダタダ歩き続けます。

主人と2人で2日かけてようやく終わりました。やった(^-^)

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