~ヨーガは生き方のレッスン~ まいまい(昧舞)ブログ

アルジュナヨーガ研修会主宰 渡辺昧比のブログ
Home » Archive by category '佐保田鶴治先生の、心に響く言葉' (Page 2)

渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑦

「人間とは、ホモ・クーランス(ケアするヒト)homo curans」 を鷲田清一大阪大学前総長の講演で聞いた時は、深く感動しました。

動物は子育てはするが、親を看送ることはしません。        

P.ピカソ『ブーケ』 花束を二人で持っています。

P.ピカソ『ブーケ』 花束を二人で持っています。

人間だけが親を看ます。親を看ることは心身共に大変なことですが、そこで人生の意味や命のきらめきを感じる瞬間があります。

この瞬間は感動的ですが、感情的になっていたり、落ち込んでいては気づかないことがあります。

http://arjuna-yoga.con/

『介護者(ケアラー)のためのヨーガ』

7月から  毎週木曜日13:30~15:00(月1、2可)

お試し1日体験 6月20,27日(木)13:30~15:00

受講料   1レッスン 2200円(1日体験、月1,2コース共)

毎週の場合は2000円  入会金、年会費は不要です。

申し込み  京都リビングカルチャー倶楽部 075-212-4728

会 場   リビング新聞社ビル(京都大丸北出口1筋北)

介護者は、疲弊感が強く、最近では各方面で言われ始めている≪介護がん≫も、ストレスが心と体に強く絡み付いていることからきています。

また、人によっては心の句読点が打ちにくく、一時的に気分転換をしても癒されず、年月とともに疲労が蓄積しがちです。

渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑦ はコメントを受け付けていません

渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑥

週の初めに私はカルチャーセンターなどでのヨーガ指導プログラムを作成します。

バランスをとろう

バランスをとろう

90分のレッスンの中で前半は基本を、後半はそれをバージョンアップしたり、補てん的なポーズをします。プログラムは季節による身体の変化(例えば、春から夏にかけては体が拡く傾向)、また、社会的状況(昨今のように情報過多が続くと自分を見失う弊害も)などを考慮します。

特に、ここ2週間はいくつかのバランスのポーズを意識的に入れました。バランスには集中が不可欠で、バランスのポーズには集中力を高める効果もあります。

『ストレス・マネージメント』『ストレス・コーピング』が言われて久しいですが、ストレスに対する方法の一つとして、「集中」が挙げられます。初心者はなかなかバランスをとれなくてあちこちフラフラしますが、フラフラしながらもバランスが取れるのはそこに「集中」があるからです。「集中」がなければ、あちらへ、こちらへと、行きっぱなしです。

現在私は高齢の母と暮らしていますが、介護についてもこのバランスは必要です。先日も急に母の背中に激痛が走り、立つことも歩くこともできず、車いすで移動という事態が起こりました。特に前触れもなかったので、このままの状態が続くのかと暗たんたる思いでしたが、幸いにも数時間で収まり、事なきを得ました。

このような時、母に気持ちを走らせます。そうでなければ、介護はできません。しかし、自分に戻る時間がないと、共倒れになる可能性があります。この時「集中」は、激しく揺れていた自分を穏やかに自分に戻してくれます。

何度、私はこの「集中」に救われたことでしょう。

この体験を生かして、7月から木曜13:30~15:00『介護者(ケアラー)のためのヨーガ』講座をリビング京都カルチャー倶楽部(四条烏丸)で始めます。1レッスン2000円。(月1,2回コースもあります)

お試しレッスンとして6月20、27(木)13:30~15:00、1レッスン2200円。現在受講生募集中です。

初めての方もできる範囲で行いますのでご遠慮なくご参加ください。

定員になり次第、締め切らせていただきます。

お申し込みは、同事務局075-212-4728まで。

渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑥ はコメントを受け付けていません

受講生の声21

疲れた時ほど、わかるヨーガの素晴らしさ    ヨーガ歴6年  K.T

ニラの花(提供 tomoko農園)

ニラの花(提供 tomoko農園)

疲れた時ほど、ヨーガの素晴らしさがわかります。

一瞬、「今日は疲れたから休もうか」と思っても、やはり行きます。

疲れた時ほど、ヨーガの後、体が楽になり、気持ちも落ち着くことがわかっているからです。

先生の穏やかで優しい声を聴き、身も心もヨーガに預け、できるだけほかのことは考えず、ひたすらヨーガをします。

「やっぱり来てよかった」「ヨーガに出会えてよかった」「渡辺先生に出会ってよかった」

本当にそう思います。

受講生の声21 はコメントを受け付けていません

渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑤

口福のひと時

オレンジティー&ジャム

オレンジティー&ジャム

友人が「ごめんやけど、見た目が悪いのでジュース用にしてね」とみかん『五月』と『セミノール』を送ってくれました。

ジュースにしては飲みきれないので、『五月』はジャムに、『セミノール』はそのままいただいたり、オレンジティーにしました。

ジャムは最初は綺麗に白い筋もとりましたが、だんだん面倒になり、筋入り(?)に!後で調べたらぺプチンが含まれるとか。

砂糖も買い置きが少なくて果肉の1/3しか入れず、色も未精製で黒っぽくなりましたが、仕上がりは「う~ん。デリーシャス!!」

糖度○○%ではないけれど、オレンジのほろ苦さと五月の季節らしいさわやかさ、友情のほんのりの甘さも相まって我が家には極上のジャムとなりました。

口福で至福のひと時、友人に「ありがとう!」このひと時を持てたすべてのことに「ありがとう!!」

渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記⑤ はコメントを受け付けていません

受講生の声⑰

心身ともに元気  Y.K ヨーガ歴7年

黄梅。春のお花に多い黄色は、色彩心理学では「希望」をあらわします。
黄梅。春のお花に多い黄色は、色彩心理学では「希望」をあらわします。
体調がすぐれず気分が落ち込んでいる時、健康のために何かをしなければと思い、ヨーガを始めました。
お陰様で続けることにより、心身ともに元気になり、喜びを感じております。
健康を維持するために、続けていこうと思います。
受講生の声⑰ はコメントを受け付けていません

受講生の声⑰

ヨーガを始めて E.Y ヨーガ歴5か月

ベビー時代の渡辺昧比

ベビー時代の渡辺昧比

☆背筋がまっすぐになる感じ

☆両側から押されて、上に伸びていく感じ

☆歩くとき、足がスッと軽く出る感じ
その他に、足の指や手の指などの先端を大切にするという事や、リラックスするために緊張があるということなど、今まで考えたことがありませんでした。
これからも色々体や心の変化を楽しみながら、やっていきたいと思っています。

受講生の声⑰ はコメントを受け付けていません

受講生の声⑮

ヨーガの恩恵

M.O

人参の葉っぱ

人参の葉っぱ

ヨーガと出会い5年が過ぎようとしています。

 

そして3年前にインストラクターの勉強を始め、現在は諸先輩方と研修会を通じて日々楽しく活動をさせていただいています。

私自身、毎日慌ただしい生活の中で心と体の調和をさせることの大切さを実感しています。そしてヨーガの恩恵を日々受けていることについても実感しています。自分自身が楽になったように思いますが、これは私にとっては大きな一歩です。

このようなことから、今年7月から自宅にてヨーガ教室を始めました。受講していただく方が少しでもヨーガの素晴らしさを実感していただけるよう、日々ヨーガと真摯に向き合い頑張って行きたいと思います。

受講生の声⑮ はコメントを受け付けていません

受講生の声⑭

心と体のお話

M.O

梅一輪、一輪ほどの…
梅一輪、一輪ほどの…

始めた頃は、父の介護でストレスの多い日々を送っていました。何とかリラックスできる時間を作りたい、またリラックスできる方法を知りたい、それにはヨーガがいいのではないかと思い先生の教室に通い始めて3年半になりました。

 

ポーズとポーズの間に、先生が話して下さる“心と体のこと”もとても興味深いことです。体から緊張を取ることの難しさを毎回感じていますが、何よりも終わった後のすがすがしさを味わいたくって楽しみに通っています。
体の硬い私はなかなか皆さんの様にはできないのですが、自分なりには、始めた頃のことを思えば、随分変化したなと思っています。
出来うる限りこれからも続けていきたいです。

 

受講生の声⑭ はコメントを受け付けていません

佐保田鶴治先生の、心に響く言葉⑦

ヨーガ者として生きる

宮島 厳島神社

宮島 厳島神社

ヨーガ者という言葉は、佐保田先生の文章の中ではあまり見かけない。佐保田先生に師事した『ヨーガ教師第1期組』の私たちは、生きた言葉として当時、京都伏見桃山のヨーガアシラムで、日曜日の講義(『ヨーガの宗教理念』や『大乗起信論』など)の後、道友の質問から楽しく脱線(?!)した話の後や、アシラム1階での昼食やチャイタイムに「大事なことは、ヨーガ者として生きることやなぁ」という正に生きた言葉の謦咳に接した。これは、20歳代でヨーガを始めた私の「信念になった!」と後で思った。
佐保田先生の言葉によると、「私たちは決して『ヨーガ研究者』や『ヨーガ実践者』ではなく、『ヨーガ者』であるべきである」と言われた。『ヨーガ研究者』とは、言葉通りヨーガを研究する人であり、私たちはそれではない。また、『ヨーガ実践者』とは、ヨーガを実践する人で私たちもその中には入るが、それだけではない。
では、『ヨーガ者』とは何か?

長年の月日の流れで詳細な記憶がおぼろげになってきたが、私の独断と偏見を許してもらえるなら、『ヨーガに生きる人』であろうか?
私たちが行っているヨーガは、『ヨーガ・スートラ』を持ち出すまでもなく、ヨーガとは本来「心の働きを止滅させる」、少なくとも「心の状態を穏やかにする」ものである。
ヨーガを行っている時だけ、心が落ち着いていて、日常に戻れば騒がしいのではいけない。理想的に言えば、そのひとのヨーガが日常生活の中に生きていないといけない。
例えば『ヨーガ・スートラ』の8部門の最初には禁戒yamaがあり、その第1は非暴力とされる。非暴力は、あらゆる宗教の最初にランクされるが、単に「殺生しない」ことだけではない。物理的に殺生することはもちろんであるが、精神的に殺す(無視する・他者の立場を考えない・いなければいいと思う)なども範疇に入る。こう考えると、全くこの戒律を侵さない人はまずいなくなるが、自分のヨーガの段階に応じてこの戒律を守ろうとするのが、ヨーガ者である。
このように言うと、「世の中の多くの人が弱肉強食の中で、これでは他人につぶされる」という声も聞こえる。実際、私自身もこの種の問題に直面したことが数知れずある。その時は「何で、私が?」「どうしてこんなことが?」「あまりにもひどすぎる!」と憤慨したり、心騒がせたことも少なくない。
しかし結果的には、それに対し「目には目を!」ではなく、キリストの「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」まで行かなくても、心静かに時を待つ(これが実は難しい!)と思いがけないサプライズがやってくることを数多く体験した。
それは、自分の思いが通ることではない。相手が引っ込むことでもない。より自分に(理想的には相手にも)ふさわしい道の入り口に気づくことである。
このようなことが以前あった。かなり前の話ではあるが、ある瞑想の会に私は入ろうとした。しかし、そこに近づく度にトラブルが起こり、なかなか進めなかった。「どうして?」「なんで邪魔される?」と悩み、嘆いた。しばらくしてそこでの入会が可能になったとき、それまでのやり方がすっかり変わり、以前の入会者たちは新たにテキストを購入し、新しい方法を再び学びなおすことになった。
その時ある人が私に言った「ちょうど、変わった時に来てよかったね。この時を待っていたのね」この種のことは、少なくない。
私たちは、うまくいかないことがあると、相手に邪魔されると思ったり、落ち込んだりするが、そういう挫折の時こそ、自分がしているヨーガを生かし、道が拓かれる解決のチャンスをゲットしたい。
ことばを変えると、佐保田先生が言われた『ヨーガ者』へ近づきたいと思う。

佐保田鶴治先生の、心に響く言葉⑦ はコメントを受け付けていません