佐保田鶴治先生の、心に響く言葉 5
ヨーガは、何かするかではなく、如何にするかですよ。
当時ヨーガ初心者の私には、不遜にもピンとこない言葉の一つであった。
当時は、40歳代のパワフルな番場一雄先生方と様々なアーサナ(ヨーガの体操)に取り組むのが面白かったからである。「これができた」「あれももうじきできそうだ」と新たなチャレンジにわくわくしていた。
しかし、佐保田先生の「如何にするかが大切」は、「結局は4原則(①ゆっくり②呼吸と動作を合わせる③意識を集中④リラックス)を守ること」と思い、難しいポーズはもちろん、シンプルなポーズも(シンプルなポーズこそ)丁寧に行うように心掛けた。
すると、心の深い部分から安心感が現れ始めた。その背景には、以下が考えられる。
若さの特権といえばそれまでだが、やみくもに動き回るのではなく、また、感情的に対処もせずに、そのもののごとそのものを、その言葉そのものを、自分の中で増減せず、感情の色もできるだけつけずに受け止めてみようと思うようになった。「これは、他の角度から見てもこう見えるだろうか?」「これも色メガネで見ていないだろうか?」心理学者のピアジェや唯識を出すまでもなく、そのもの、そのことはそれだけのままで存在していることを見直す必要があると、自然に考えられるようになったのである。
これはその後の私にとって、貴重な財産となった。
話は変わるが、私はAll AboutサイトQ&Aの回答者の一人でもある。
先日も、ヨーガのあるポーズがダンスと似ているので効果も同じかと聞かれた。
ダンスはよくわからないが、ヨーガとスポーツは全く違う。良い悪いの問題ではない。大きな違いとしては、スポーツは体力を消耗し、また、筋肉を鍛える。まさに体レベルの何物でもない。しかしヨーガは筋肉トレーニングはある程度可能だが、それ以上に、心を深く、豊かに耕すことができる。できる、と書いたのは「仕方による」からである。
また、スポーツのエネルギーの消費に対して、ヨーガはエネルギーが満ちて元気が出る。
ヨーガがブームになって久しいが、ここがわからない人が多く、指導者の中にもヨーガの本質を理解していない人が少なくない。
ヨーガのバイブル、『ヨーガ・スートラ』の最初に、「ヨーガとは心の働きを止滅させることである」とあるように、心の変化をもたらさないものは、ヨーガではない。
ここでよく質問される。「ヨーガの体操はゆっくりした体操じゃないですか?」私たちは、ヨーガのアーサナを動くメディテーション(瞑想)として行う。
瞑想は非常に素晴らしいものだが、座って行うことは一般には難しい。それより、体に集中しながら行う、ヨーガのアーサナは多くの人にとって、入りやすい道である。
効果も得やすい。
このようなやり方(世間では『佐保田ヨーガ』といわれる)は、人々に心身の健康をもたらし、やがてそれは社会に健康にも役立ってくれると、大変な時代を痛感する現在、私は確信している。