統合医療への道2
早くも寄り道、道草…… いのちの仕組みに感動!
母が白内障の手術を受けた。体調を調え、効果がより上がるように大事をとって、片目ずつ2泊3日の入院とした。
最初の入院では、手術室時は女性の看護師さんが脈を診てくれ、腰痛防止のために母の腰のカーブにぴったり合ったクッションを用意してくれ、病室は眺めの良い部屋で環境も良く、「食事も美味しい」と母は言った。翌日の検診も「順調です」であった。これでは、最高に幸せな患者と多くの人は思うだろう。実際、すでに両眼の白内障手術を受けた知人は、「目が4つあるなら、今度はそのような手術を受けたい」と羨んだ。
しかし、である。帰宅した母のその後は、首をかしげることばかり。
同じ事を何回も聞いたり、わかりきったことを繰り返す。簡単なことを聞いても、「頭が働かない」と嘆くなど、表情も生き生きしたところがない。
母にとっては、白内障だけではなく、手術入院は何十年ぶり?!2泊3日というものの、慣れない入院生活でのストレス?など心当たりを考えては見たものの、腑に落ちないものがあった。
このまま、今度は精神科のお世話?と私まで気が滅入った。このような状況の中、病院から2回目(左目)の手術入院の連絡が入った。状況を説明しても、「ご高齢の方には、良くあることですよ」という返事。とりあえず、入院できる状態ではなかったので、延期を申し出た。
母は自分なりに、膨大な時間とお金をかけて、様々な代替医療を研究、実践した。「そのラストが不本意なものになったとしたら…」と、私はたまらない気持ちになった。
ネットで検索したり、医師や医療関係者の友人知人に尋ねもした。
見えるとは
物を見るとき、光は角膜を通って瞳孔から眼の中に入り、水晶体・硝子体を通り、網膜に達する。網膜に達した光の刺激は、視神経を通って脳に伝わると『見える』こととなる。
同じものを見ても、違って見えることがあるのは、一つには、情報が最終的に大脳後頭葉の視覚野で映像となり、他の感覚器官からの情報の影響を受けながら、更に大脳の他の部位で記憶などと照らしあわされ、その人なりの意味を持った情報となることなどがあげられる。
東洋の思想『唯識』によると、「無意識には、生物として生まれたときからの膨大な記憶が貯蔵されている」と言う。『見える』ことが記憶と関わるなら、その人のあり方とも関連が深い。人が得る情報の80%以上は視覚によるので、視覚による心身への影響は大きいと言える。
医療関係者の知人によると、「人は、片方の目を交互に主として見る」説があると言う。確かに、歯の噛み方を思い出すと、『利き』はあっても両方使っているように思う。片方だけなら、損傷が早いからである。
すると、例えば右目片方だけ手術で良くなった場合、右目を主とした情報と、そのままの左目を主とした情報の差が大きく、脳が混乱、誤作動を起こす可能性がある。パソコンで言うと、『凍結』『フリーズド』した状態である。内部での調整に追われ、他の事は、「考える余裕がない」らしい。
後の検診でわかったが、母の右眼の視力は0.3→0.8へとかなり良くなっていた。良くなった分、左右の差が大きく、脳の内では大仕事がなされていたと思われる。
先に述べた症状は、結果的には、心身を含めた全身のバランスをとる作業と、母と私は考えた。症状は大事な役目を持っている。
一つの老後のあり方
このことを考えると、まさに、母の状況にぴったり符合する。
私の友人・知人の中には、漢方医・鍼灸師・波動水やオステオパシーの施術士やアーユルヴェーダ、マクロビロティック等の実践者がいる。困難な状況のとき、「誰かに相談しようか?」と母に尋ねたら、「少しづつ戻りつつあるから、体の歩みに任せたい。元に戻ればいいし、戻れなかったら、戻れるところまででよい。代替医療といえども、今は、過剰なことはしたくない。」と言った。この母の言葉は、私の老後の考えに対する強い一言となった。
最近出会った医学系のT教授の言葉「人生の中での分を知ることが大切」を聞き、私は感銘を受けた。「延命!延命!」を強調する治療では、時として患者のQOLを脅かし、結果的に医療関係者と患者側は感情的トラブルを招きやすい。
それは決して命を放棄したり、あきらめることではない。納得できないことに対しては、説明を求めることはもちろんである。より良い医療を求める権利は、患者にはある。
特に、どんなに高齢になっても、自分の親は何時までもいてほしいと誰しもが願う。しかし、大自然の摂理を考えたとき、例外は、どこにもない。
幸い、母はかなり元気になった。ありがたいことである。
そして今回の大いなる気づきも、また、私には抱えきれないほどの、母からの、そして天界からのビッグな贈り物であった。
その1ヵ月後、2回目(今度は左目)の白内障手術を母は受けた。手術は定時に始まり定時前に終わり、環境も良く、看護師さん達も前回同様親切であった。ただ出血がややあったのか、目は充血していた。
翌日の検診の時ドクターは「日がたつと薄れますよ」と言ったが、多少慣れたとしてもワーファリン服用の母は、少々ナーバスになっていたようだった。
退院日は帰宅後もゆったりと過ごしていた。翌日以降は、眼の負担を考え、洛趣会へ行くのをキャンセル!
洛趣会とは、「売り申さず、お賞(ほ)め下され」の考えのもと、京都の老舗30店が毎年お得意様を招待する、究極の京都展。京文化の深さ・重みを実感し、虎屋の和菓子をいただけるお茶席、尾張屋のお蕎麦も振舞われる。職人が丹精をこめて作る技は、ある種の瞑想にも通じるものがある。母はこの日を楽しみにして洋服やバッグを準備していたのに、いともあっさりとキャンセル!!「今は楽しみよりも眼をいたわるほうが大事!」
目薬の点滴時間などを考慮しながら、自分の知識・体験を総動員してさまざまな代替医療を、私の留守中、試みたらしい。
結果、年齢の割には速く日ごとに充血がひき、すっきりとした眼差しになった。もちろん体調不安定は無く、総視力はだんだん上がり、「楽に良く見られるようになった」という。
この背景には、某大学附属病院眼科の主治医を中心としたチームの成果があるのは、明らかである。しかしそれにプラスして、身びいきではあるが、母が祖母から引継ぎ、更に自分なりに研究実践した、それまでの様々な健康法や治療法、何よりもその根本的な考えが実を結んでくれたように私には思えた。
「欲どおしくしない!」「日々は繰り返しではなく、積み重ね」「いろいろ工夫してやってみる」凡庸ではあるが、まだまだ母から学ぶものはあると痛感した。
秋晴れのような母の表情に、私は大きく頷いた。