渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記④
名残りの桜、今、藤は咲く。
ある方とのご縁で、茶道を習いに1年ほど先生のご自宅へ通った時期がある。
以前、母がご近所の方だけに家で茶道を教えていた頃、母に「あなたも一緒にしなさい」と言われたが、「窮屈で形式的な堅苦しいことは嫌!」と反発して掃除の手伝いはしたが、茶道は全くしなかった。
しかし、年齢を重ねたからか、心境の変化か、はたまた先生のご人徳か、お茶が好きになった。先生には「あなたのお茶は、下手だけれど、おいしい」とお褒めの言葉(?!)をいただいた。
1年習っただけで、茶道の何たるかがわかるわけはないが、お茶が好きになり、時々自宅でもお茶を楽しんでいる。
現在は、藤の抹茶茶わん二つを飾っているが、その一つに心ひかれた。
これは母の茶碗であるが、正面が牡丹(と初心者の私には見える)と藤、後ろ側にに葉桜が描かれている。
ここに私は、東洋人独特の「名残り」を感じた。
日本料理、特に茶懐石には、「雲の峰」・「寒紅梅」など美しい名前が付けられている。「残雪」は、冬の名残を惜しみながらも春を迎える浮き立つ心の躍動が感じられる。
今年も、桜の季節は、本当に「あっ』という間に終わった。特に春に寒い日が多かったせいか、ゆっくり桜見に繰り出す準備もできぬ間に、桜が花びらを散らした感がある。
しかし、いつまでも『はる』を引きずらないのが桜の矜持でもあろう。人々はそんな桜に心惹かれながらも、春から初夏にかけての浮き立つような高揚感が嬉しく、躑躅(つつじ)・山吹・牡丹・芍薬・藤へと花見の旅はきりがない。
桜の時期は終わったけれど、桜も愛おしいけれど…… 今は藤。
さまざまな花が咲く春。
一つの時を切り離して次の季節になるのではなく、かといって終わった季節に執着するのでもなく、名残りを惜しみながらも次の季節に次第に移ろう。
藤の茶碗は藤の季節だけのものではあるが、その後ろには春の桜がそぉ~と寄り添っている。藤が桜を抱えながらも、藤を咲かせようとしている。
こんなことに想いを馳せながら、友人と高台寺、園徳院へ行きます。今は見ごろだそうです。