~ヨーガは生き方のレッスン~ まいまい(昧舞)ブログ

アルジュナヨーガ研修会主宰 渡辺昧比のブログ
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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記27

白椿

白椿

淡いピンクの薔薇
淡いピンクの薔薇

薔薇園に行きました。
春咲きの薔薇も優しい表情で綺麗ですが、秋咲きの薔薇も青空に向かって凛として美しいですね。

 

一重の薔薇や淡いピンクの薔薇、近くの住宅地の中では白椿も咲いており、季節の流れの速さに驚きました。

 

 

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記26

弟の友人、リンゴ農家のイッチャんからリンゴ『シナノゴールド』(明るい赤)と『秋映え』(濃い赤)が届きました.

 

『シナノゴールド』と『秋映』

『シナノゴールド』と『秋映』

『シナノゴールド』はあっさりしたさわやかな味、『秋映え』は熟した味わい、どちらもおいしく頂いています。

イッチャんありがとう!自然の恵みに感謝!!自然が自然であり続け、恵みをいただける幸せを日本中の方々が満喫できますよう祈ります。

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記25

カルチャーセンターでのヨーガクラスは、スタジオで行いますが、アルジュナヨーガ研修会桂教室は、和室で行っています。
今週は、グッと秋らしく、フジバカマの投げ入れが床の間にありました。

 

桂教室の床の間
桂教室の床の間

座禅に対し、私ども『佐保田ヨーガ』は「動くメディテーション≪動禅≫」としてヨーガのポーズを行いますので、和室は全く違和感なく、リラックスできます。
通りから少し入った西口会館では、四季折々のお庭のお花・葉擦れのささやき・草花の香り・シャヴァアーサナ(屍の体位)での畳の感触など、五感を優しく刺激し、心地よい空間で、季節を楽しみながら、ヨーガを行う幸せを実感しています。

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渡辺昧比の介護者(ケアラー)ヨーガ日記⑤

『平和の鳩』パブロ・ピカソ

『平和の鳩』パブロ・ピカソ

私は京都市西京区在住ですが、最近、西京・介護者の会『虹の会』に入会しました。

 

 

介護者の介護は大きな問題で、『介護がん』という言葉が専門家の間でいわれるようになりました。

 

その解決として、イギリスやオランダでは、毎日のようにヨーガや絵画療法など講座があったり、健康的なランチやカフェでおしゃべりする場があることが報告されています。
日本でも、日本ケアラー連盟(共同代表理事・堀越栄子日本女子大教授)が2010年に発足し、海外ほどにはいきませんが、東京を中心にヨーガや介護者の話し合い…の場、カフェなどが始まりました。
京都では、西京区が平成6年に最も早くスタートしました。

イベントは、お食事会や日帰り旅行、勉強会、施設見学などほぼ毎月1回あり、また、消耗品などの大量購入で経済的負担を少なくすることなども行っています。勉強会では、地域包括センターの方の介護保険法についての話や、『男の介護』や『介護離職をなくす』研究で有名な、立命館大学の津止正敏先生をお願いしたこともあるそうです。
私は介護者A会員ですが、卒業するとB会員となり、A会員をサポートします。直接介護に関係がなくても関心があればC会員でかかわることができます。私は少しづつ今の生活を整理し、こちらでも『介護者のためのヨーガ』が出来ればいいと思っています。
「いろいろ苦しいことやつらいことがあったとしても、最後に人として優しく接してもらえたら、その人の人生は幸せと言える」とは、マザーテレサが以前、日本での講演の中で言った言葉ですが、私もそう思いますし、そのためにも介護者のケアは必要です。

もちろん、微力は承知の上ですが、『介護者(ケアラー)のためのケア(私の場合はヨーガをベースとして)』をさまざまな形をとりながら進めていこうと思います。

 

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渡辺昧比の介護者(ケアラー)日記④

6月16日(日)日本ケアラー連盟主催の『ケアラーフォーラム2013』で東京へ行ってきました。

ケアラーを支える仕組み

ケアラーを支える仕組み

イギリスやオランダには程遠いですが、東京では、介護者のためのヨーガやミーティングのできるカフェ、旅行等が定期的に行われています。また、各地の介護者ケアも報告、nhkテレビも取材、翌日放映がありました。

 

介護者の介護の必要性は、個人的問題を超え、≪介護がん≫発症や被介護者の健康状態、離職にもかかわるとして、社会的問題にもなりつつあります。
私も微力ながら、ヨーガ者の立場でかかわっていきます。

各方面のお力添えをよろしくお願いいたします。

 

『介護者(ケアラー)のヨーガ』京都リビングカルチャー倶楽部    木曜13:30-15:00http://arujuna-yoga.com/classroom.html

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渡辺昧比の介護者(ケアラー)日記③

人間とは……ケアする存在

P.ピカソ『ブーケ』 花束を二人で持っています。

P.ピカソ『ブーケ』 花束を二人で持っています。

「人間とは…」の問いに、先人たちが多くの答えを用意している。

「知性を持つヒト」(ホモ・サピエンスhomo sapiens)に始まり、 「ホモ・クーランス(ケアするヒト)」homo curans は広井良典氏が提唱した概念である。

 

「親が子の世話をする」のは動物全般で行われるが、「子が(老いた)親の世話をする」のは人間だけである。

「ケア」とは、狭義では『介護』であるが、広義では『配慮・関心・気遣い』を意味する。こう考えると人間は、「ケア」し、また、「ケア」される存在である。

 

親を介護し、また、介護した友人たちは口々に言う。

「母を介護している時は、自分が母の面倒を見ているつもりになっていたが、それはとんでもない間違い。母に見守られていたのは私の方。幸せだったのは、私」

「大変な世話をしているのに、ふっと癒される瞬間がある」

「認知症になって多くのものを忘れ、今の自分の状態も忘れても、母として娘の私を本気で心配してくれる」

 

私自身は、10年前に亡くなった父との鮮明な思い出が忘れられない。

いつものように入院している父の病室で、主治医の回診を見ていた時のことである。

80歳を超え老衰した父の肉体が目の前にあった。ほとんど崩れ落ちそうな肉の破片の父の体を見たとき、昔見た老女の彫刻を思い出した。老女は体型も一般論としては美しいとは言えない。顔にもシミやしわが刻まれている。

それでも、それだから、強く訴えるものがあり、私は「この彫刻も美しい!」「この彫刻は美しい!!」と感動した。

 

その時、父の体を見たときも、それに劣らない感動があった。表現はふさわしくないが、「ここから私は生まれた」と、厳粛な生の原点に触れた思いで、「だから私はここにいる!」と感動した。

どこの家庭も問題があるだろうが、若い頃の私は父との関係性が重荷であった。ヤンチャで無鉄砲な私に対し、親ごころであることは承知ではあるが、「良識」「常識」を教え諭す父とは受け入れられない部分があった。父の入院中の介護は、私にとっては父との関係性を修復する絶好のチャンスと思い、できるだけのことはした。

その結果、この感動は父からのラストでビッグな答えであった。十分すぎる『お返し』に私は満ち足りた。

 

M.メイヤロフのいうように「一人の人格をケアすることは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することを助けるのである。…他の人々をケアすることを通して、他の人々に役立つことによって、ケアするヒトは自身の生の真の意味を生きているのである」のであろう。

 

とはいうものの、介護に関しての問題も社会政策として山積している。個人レベルでも介護には休みがなく、時には疲労困憊でダウン寸前になったり、重荷でつぶれそうになる時は誰にでもある。がむしゃらに頑張るのではなく、小休止を忘れずに過ごしたい。

 

『ちょっとお茶する』『ちょっとお月様を見る』『ちょっと散歩する』など一服を入れることが大切である。もちろんヨーガのリラクゼーションや、気持ちのゆとり、他の視点からの眼差しも私には大きな力となっている。

 

私の場合は、この季節、特に、モーニング・ヨーガが良い。さわやかな空気を全身で吸いながら、緩やかに体を動かすと、忘れかけていたこと、そろそろしないといけないこと、急用ではないが大切なことを、モーニング・ヨーガはそーっと思い出させてくれる。「そろそろ出番ですよ」と、そのまま沈んでしまいかねない深い混沌とした意識の中から、意識化・行動化しやすい領域へと優しく誘導してくれるように感じる。

 

こうして一服を入れることによって、日常の厳しさを一時的にでも遮断し、非日常の世界の空気を取り入れることができる。とかく見失いがちな自分を取り戻しながら、ケアすること。それによって、ケアされる人、ケアするヒトもともに豊かになれるのであろう。

先ほどの広義・狭義のケアを考えると、ケアされる人、ケアするヒトは入れ替わることもある。ケアする人はまた、ケアされるヒトでもある。

 

これは今の私の、「道は遠し」の感はあるが大いなる理想である。こう考えると、楽ではないが、自然に微笑みが浮かぶ気がする。

『介護者(ケアラー)のヨーガ』京都リビングカルチャー倶楽部    木曜13:30-15:00http://arujuna-yoga.com/classroom.html

 

参考文献 『ケアの本質』M,メイヤロフ著、田村真・向野宣之訳 ゆみる出版

『ケアを問いなおす』広井良典著、ちくま新書           他

http://arjuna-yoga.com/

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渡辺昧比の介護者(ケアラー)ヨーガ日記②

Facebookでの対話より

『介護者(ケアラー)のためのヨーガ』への思い

 

心のバランスは体のバランスから。
心のバランスは体のバランスから。

昧比 正直なところ、高齢(88歳)で聴力障害2級の母との生活で、悲劇のヒロインになりかけることはあります。でもそこにとどまって(バランスのポーズでいえば、倒れずに何とかとどまろうとして)いると、ふっと天啓が降臨か?

「人間っていいところもあるなぁ」「これは人生の意味かもしれない」と感じる瞬間もあります。これは私には至福と思えますし、また、個人を超えた普遍性とも思えます。その辺をシェアしたいという思いも、『介護者(ケアラー)のためのヨーガ』開講の理由の一つです。
お友達 お母様の介護も大変なことと思いますが、その時にバランスを保とうとしながら、「天啓が降臨か?「人間っていいところもあるなぁ」「これは人生の意味かもしれないと感じる瞬間もあります」というのはまたヨーガの境地にも似た素晴らしいことのように思えます。
昧比 人生、苦い味もあるから、味に深みがでて…。じんわり、いいですね。
ありがとうございます。この辺も多くの方と分かち合いたいというのが最近の私の強い思いです。

京都リビングカルチャー倶楽部『介護者(ケアラー)のためのヨーガ』 木曜13:30ー15:00 http://arujuna-yoga.com/classroom.html

 

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渡辺昧比の介護者(ケアラー)日記①

『介護者のためのヨーガ』を始めて

鹿児島寿蔵『合掌童女』

鹿児島寿蔵『合掌童女』

「人間とは、ホモ・クーランス(ケアするヒト)homo curans」を鷲田清一大阪大学前総長の講演で聞いた時は、深く感動しました。動物は、子育てはするが親を看送ることはせず、人間だけが親を看ます。親を看ることは心身共に大変なことですが、そこで人生の意味や命のきらめきを感じる瞬間があります。
介護者は、疲弊感や自己肯定感の低下など問題が多く、最近では各方面で言われ始めている≪介護がん≫も、ストレスが心と体に強く絡み付いていることからきています。

 

また、人によっては心の句読点が打ちにくく、一時的に気分転換をしても癒されず、年月とともに疲労が蓄積しがちです。
これを緩やかに解くには動く瞑想としてのヨーガが有効です。『ストレス・マネージメント』が言われて久しいですが、対処法の一つとして、「集中してバランスを取る」ことが挙げられます。
介護についてもこのバランスは必要です。先日も高齢の母が急に肋骨を骨折し、激痛と同時に立つことも歩くこともできず、車いすで移動という事態が起こりました。このままの状態が続くのかと暗たんたる思いでした。
このような時、母に気持ちを走らせます。そうでなければ、介護はできません。しかし、自分に戻る時間がないと、共倒れになる可能性があります。この時「集中」は、激しく揺れていた自分を穏やかに本来の自分に戻してくれます。何度、私はこの「集中」に救われたことでしょう。ここで命の実感も可能です。
介護は、極端な場合、離職・虐待・自殺等も引き起こします。個人的な問題を超え、社会の問題とも言えると思います。

 

『介護者(ケアラー)のヨーガ』京都リビングカルチャー倶楽部    木曜13:30-15:00http://arujuna-yoga.com/classroom.html

 

ニューポート国際大学日本校講師『福祉心理学』。介護者(ケアラー)のためのヨーガの会arjuna主宰。アルジュナヨーガ研修会主宰。日本ヨーガ禅道友会教師。健康心理士。日本ケアラー連盟社員。http://arjuna-yoga.con/

 

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記24

お月見だんご

お月見だんご

中秋の名月(満月)をみました。

 

エビデンスがないことを知っての上で、「うさぎの餅つきにも見えるかな」と、お月様を愛でる気持ちは、持ち続けたいですね。
今日は、月見だんごも愛でました(*^_^*)
月見だんごは、地方によっても違います。写真は、京都ではよく見るお団子です。

 

いろんなことがあっても、月は月であり続ける。

私たちも、いろんなことがあっても、揺れてもセンターの戻れるよう心掛けたいですね。

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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記23

ヨーガの恩師、大阪大学名誉教授(『インド哲学』)で日本ヨーガ禅道友会初代会長、佐保田鶴治先生のお墓参りにヨーガ仲間と行ってきました。

 

佐保田鶴治先生と渡辺昧比
佐保田鶴治先生と渡辺昧比

時折きつく降る雨は、私の心の土壌を優しく潤してくれるかのようでした。

 

般若心経をサンスクリット語で唱え、一人ずつお焼香をあげる頃には傘がいらないほどの小雨となりました。この後、真福寺でのお食事会へ向かう途中には青空も見え、私たちの心もすっかり清々しく、晴れやかになりました。

 

佐保田先生の言葉「ヨーガのアーサナ(体操)を動くメディテーション(瞑想)として行う。それによって、体だけではなく、心も落ち着き、霊性も高まる」「体のスピリチュアリティ」「一人一人の健康は、社会の健康にもつながる」などは、ヨーガを続ける上での、私の心の基盤になっています。
こうして仲間と会うことは、単なる昔話で盛り上がるだけではなく、今後進む道先案内役にもなってくれます。
ヨーガは、日本では『健康法』とされていますが、私どものヨーガは『心身の健康法』だけではありません。最近では統合医療の一つとしても注目され始めています。
私自身も、長年のヨーガの応用として、さらに『ヨーガ療法』を進めたいと考えています。医学・医療関係者の先生方をはじめ、多くの方々のお力添えを頂きたく、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

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