~ヨーガは生き方のレッスン~ まいまい(昧舞)ブログ

アルジュナヨーガ研修会主宰 渡辺昧比のブログ
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渡辺昧比のときどき、ドキドキ、ときめき日記①

舟出

 

Le Petit Suetomi から史跡・一之船出を臨む

Le Petit Suetomi から史跡・一之船出を臨む

 

恋人同士なら体をぶっつけ合って楽しく二人で通るような、友人女子なら一列並びかな、河原町通りから細い路地を通り抜けると、目の前には『史跡・一之船入』の風景が拡がる。

 ほんの先ほどまでのざわめきは消え、こんなに静かな世界があったのかと、懐かしいような、嬉しいような静かな気分に浸れる風景がそこにある。

 

日常生活は、時として有頂天になったり、へこみそうになったりの日々が続くことがあるが、そこからほんの少し(しかしこの差は大きい!)内面に向かうと、≪非日常≫静謐な世界がある。静謐とは淋しさではなく、不安でもなく、むしろ満ち足りた歓びでもある。

 

最近、そんな気分にさせてくれる空間が、Le Petit Suetomi にあった。

東山を借景とした史跡・一之船入をテラスから望むと、躊躇していた私の中の何かが「舟出してみようよ」と軽く背中を押してくれる。

 

そう春ですね。春は別れと出会いの季節。別れは一瞬淋しいけれど、新しい出会いを促してくれる。この春、思いがけない別れと出会い、どちらもビッグ体験!がありました。

 新しい自分の道初めに乾杯して、この新しいページを綴り始めます。

 



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受講生の声⑲

2013年3月18日 Posted in 受講生の声

春の花壇

春の花壇

≪手放すこと≫に気づく T.Aヨーガ歴7年

 

仕事が終わってからや日中出かけた後に、夜間のクラスでヨーガの指導を受けています。

教室に着いた時は、大体疲れていて、肩も凝っているし、眠気の強い日もあります。お休みする日もありましたが、それでも何とか続けてきました。

 

教室では、前半に簡易体操・基本体操を行われることが多く、難しくない動きから始められるところが続けられた理由の一つだと思います。

「アーサナよりも簡易体操の方が好きかもしれない」と思うくらいに、心地よく体を動かせるところが良いです。

アーサナも、たとえ自分の体が手本通りに動かないとしても出来るところまでやれば良く、そのために楽しく行えます。

ヨーガを初めた当初は、自分の体がそこまでは動かない(固い)と知ることさえも、「楽しい、おもしろい」と感じていたように思います。

体の動き、感覚を観察していると、どんどん集中していき、90分のレッスンはあっという間に終わって帰るころにはすっきり・ほんわかして帰れます。

ヨーガをしている時間は、「自分のために自分の心と身体に向き合う贅沢な時間だなぁ」と思います。

しかしヨーガのアーサナをしている途中、ふと気づくと、日々の出来事やそれに関する自分の主張、時にはよくわからない想像を頭の中で考え、思い巡らせていることがあります。
時々それはとても激しく強いものであり、自分でも気づいて驚くことがありました。気づいた時には、ヨーガの四原則を意識し、先生が言われる注意『集中して!』を思い出し、身体に意識を集中させます。

一旦離れることができると、悩んでいたこと、考えすぎていたことも「大したことではない」とまでは思えなくても、落ち着いて見ることができます。

「自分がこんなに考え続けようとしたり、強い主張を自分の中で育て続けていれば、それは休まらない、疲れるはずだ」と思うと、そこから一度離れられる考え、また意識的に手放そうとできるヨーガの時間の大切さを実感します。

さらに日々の中でも、その感覚がわかるようになってきたように思います。「ちょっと、今、頭の中で考えすぎているかな」「感情的になりすぎているから、肩の力を抜こう」このように考えられるのも、「ヨーガの効果かな」と思います。

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受講生の声⑱

2013年3月11日 Posted in 受講生の声

素敵なひと時

T.F   ヨーガ歴10年

『桃花』速水御舟、山種美術館

『桃花』速水御舟、山種美術館

忙しい毎日を送っている私にとって、ヨーガの時間は、自分をみつめ観察できる素敵なひと時です。
肩こりがひどく、体にいいだろうと思い入会しましたが、自律神経を整え、ココロにも良い影響を与えてくれることに驚きました。

 

それにより、体だけではなく気持ちの持ち方が大きく変化しました。自分にだけでなく、他人への接し方も優しくなりました。

 

生活の中で肩を張ることが多いですが、考え方を変え、呼吸を整えることにより、スーッと肩が楽になる経験がよくあります。

 

ヨーガは、奥深くまだまだ勉強することが多くありますが、マイペースで肩を張らず続けていきたいです。

 

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受講生の声⑰

心身ともに元気  Y.K ヨーガ歴7年

黄梅。春のお花に多い黄色は、色彩心理学では「希望」をあらわします。
黄梅。春のお花に多い黄色は、色彩心理学では「希望」をあらわします。
体調がすぐれず気分が落ち込んでいる時、健康のために何かをしなければと思い、ヨーガを始めました。
お陰様で続けることにより、心身ともに元気になり、喜びを感じております。
健康を維持するために、続けていこうと思います。
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統合医療への道⑤

2013年2月27日 Posted in 統合医療への道

佐保田鶴治先生(中央)を囲んで。後列左端が渡辺昧比

佐保田鶴治先生(中央)を囲んで。後列左端が渡辺昧比

佐保田鶴治先生の指導を受ける

このページ(統合医療への道)を久しぶりに開きます。
前回までは、道草をしながらヨーガ・アシラム『日本ヨーガ禅道友会(佐保田鶴治会長)』に至る道のりを書きました。
ヨーガを始めるといっても、その前に『国際宗教・超心理学会(本山博会長)』に所属し、数年間だけ瞑想をしていたことが、『佐保田ヨーガ(と世間では言われる)』に必要だったことが、最近になって改めて確認するようになった。
「ヨーガとは…」と大上段に構えるまでもなく、心を安定、精神的・霊的にも成長させる方法論の一つであることは自明であるが、最近見聞きする≪ヨーガ≫≪ヨガ≫にはこれを疑問視せざるを得ないことが多い。旧人類といわれても、これは無視できないことである。
ヨーガのバイブルと言われる『ヨーガ・スートラ』に最初に「ヨーガとは、心のはたらきを止滅することである」(佐保田鶴治著、平河出版社)と定義されており、その具体的な方法としてアーサナ(坐法)・呼吸法(調気法)・瞑想がある。
これらを一般には順に行うが、決して単独で切り離されたものではなく、アーサナの中に呼吸を合わせる(呼吸法)や意識を集中する(瞑想の前段階)があり、呼吸法では呼吸などに集中するという意味ではやはり瞑想の前段階ともいえるように、この3つはリンクしながら進めていくところに『佐保田ヨーガ』の特徴があり、それによって心の深い領域へのアプローチが可能となる。長年にわたり、アカデミズムからも多くの支持を得ている理由もここにあると考える。
しかし、アーサナは誰でも入りやすいいわば≪易行≫であるために、一歩間違えると「アーサナをしさえすればよい」と通り一遍に通り過ごす危険性もはらんでいる。『佐保田ヨーガ』が『ヨーガ禅』である以上、あくまでも「動くメディテーション(瞑想)として行うこと」が必要不可欠である。
しかしこれらは、時間をかけてしみじみをわかってくる部分もある。
私自身を例にとると、『日本ヨーガ禅道友会』入会後、ごく最初の頃は佐保田先生に直接実技指導を受けるという大変幸運な時期であった。実技を指導しながら、「こうしてヨーガをしているうちに、心も変わるんですよ」「広い心が持てるようになったり、暖かい気持ちを持てるようになる、これは大変幸せなことです」と聞いても、その時は佐保田先生には失礼ながら「そんなものかな!?」とか、「それはそうでも早く戻してくれないと息が苦しくて耐えられない!」が実感であった。
これらの佐保田先生のことがおぼろげながらもわかるようになったのは、正直なところ、いつとは記憶が定かではないが、しばらく後のことであったと思う。
入会1年後のある日、石田祐雄先生から「編集(『道友』)を手伝ってくれる方はいませんか?」という呼びかけがあり、当時、フリーで編集の仕事をしていた私は「ヨーガについてはよくわかりませんが、できる範囲でお手伝いさせていただきたい」と申し出た。
当時は、パソコンはもちろん、ワープロもなく、カセットテープを聞きながらテープ起こしを筆記するという大変な作業であった。1編につき5,6回は書き直したと思う。大変な作業ではあるが、思い返すと、『佐保田ヨーガ』の理論の勉強にはこれ以上の物はないと思うくらい、私には勉強になった。私の『佐保田ヨーガ』理論の中核になってくれたとさえいえる。
こうして佐保田先生は、ヨーガの恩師ではあるが、年齢的にも離れすぎていたし(70歳代後半)、ヨーガ上の質問に気楽に細かなことまで聞く勇気が、当時の私にはなかった。そうして、毎週日曜日の朝、佐保田先生の講義『ヨーガの宗教理念』や『大乗起信論』などの後に、アーサナを指導されていた番場一雄先生の教室にも、アシラムの他に通うことになった。
番場先生は当時40歳代で熱くヨーガを語り、実践も半端ではなく、しかも気楽に私の質問に答えてくれる兄貴先生でもあった。佐保田先生からは『佐保田ヨーガ』理論の中核を、番場先生からは実技(アーサナ)の方法はもとより、その意味・アーサナを通しての身体(体+心+スピリチュアリティ)への道案内をしっかり教えてもらった気がする。さらには、冒頭に書いたように、一見挫折したかに思えた、『国際宗教・超心理学会(本山博会長)』での瞑想体験も今になってじんわりとにじんできてくれ、最終的には佐保田先生の「生活即ヨーガ」で私自身の生き方の指針にもなってきたことを実感する。
最近になって、番場先生を中心とした勉強会を行っていた『京都市職員会館かもがわ』で、インストラクターのOさんのお世話により、僭越ながら私たちも勉強会をさせていただくようになった。これは光栄と思っていたら、会場で今は亡き番場先生の幻聴(?!)「そうか!今度は君がここで勉強会をしてくれるのか!」を聞いた気(!!)がする。別の『京都市職員保養所きよみず』へ行ったとき、「ここでは勉強会がなかったから、番場先生はお出ましにはならないだろう」と思ったら、今度は「僕が君を応援しないわけはないだろう」という幻聴(!!)をまたもや聞いた気がする。
改めて、『佐保田ヨーガ』の伝統を継承することに、早春の寒さと煌めきに似た、凛とした思いが走った。
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受講生の声⑰

ヨーガを始めて E.Y ヨーガ歴5か月

ベビー時代の渡辺昧比

ベビー時代の渡辺昧比

☆背筋がまっすぐになる感じ

☆両側から押されて、上に伸びていく感じ

☆歩くとき、足がスッと軽く出る感じ
その他に、足の指や手の指などの先端を大切にするという事や、リラックスするために緊張があるということなど、今まで考えたことがありませんでした。
これからも色々体や心の変化を楽しみながら、やっていきたいと思っています。

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受講生の声⑯

2013年1月29日 Posted in 受講生の声

ラベンダー「寒くても咲きます」

ラベンダー「寒くても咲きます」

心地よい疲れと満足感

M.K   ヨーガ歴7年

 

ヨーガを始めてから数か月間休んだことがありますが、ずっと続けています。

 

1時間半、心をこめて身体を動かすと、後にはとても心地よい疲れと満足感があります。

 

良い体調を維持できているので、これからも続けていきたいと思っています。

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受講生の声⑮

ヨーガの恩恵

M.O

人参の葉っぱ

人参の葉っぱ

ヨーガと出会い5年が過ぎようとしています。

 

そして3年前にインストラクターの勉強を始め、現在は諸先輩方と研修会を通じて日々楽しく活動をさせていただいています。

私自身、毎日慌ただしい生活の中で心と体の調和をさせることの大切さを実感しています。そしてヨーガの恩恵を日々受けていることについても実感しています。自分自身が楽になったように思いますが、これは私にとっては大きな一歩です。

このようなことから、今年7月から自宅にてヨーガ教室を始めました。受講していただく方が少しでもヨーガの素晴らしさを実感していただけるよう、日々ヨーガと真摯に向き合い頑張って行きたいと思います。

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受講生の声⑭

心と体のお話

M.O

梅一輪、一輪ほどの…
梅一輪、一輪ほどの…

始めた頃は、父の介護でストレスの多い日々を送っていました。何とかリラックスできる時間を作りたい、またリラックスできる方法を知りたい、それにはヨーガがいいのではないかと思い先生の教室に通い始めて3年半になりました。

 

ポーズとポーズの間に、先生が話して下さる“心と体のこと”もとても興味深いことです。体から緊張を取ることの難しさを毎回感じていますが、何よりも終わった後のすがすがしさを味わいたくって楽しみに通っています。
体の硬い私はなかなか皆さんの様にはできないのですが、自分なりには、始めた頃のことを思えば、随分変化したなと思っています。
出来うる限りこれからも続けていきたいです。

 

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佐保田鶴治先生の、心に響く言葉⑦

ヨーガ者として生きる

宮島 厳島神社

宮島 厳島神社

ヨーガ者という言葉は、佐保田先生の文章の中ではあまり見かけない。佐保田先生に師事した『ヨーガ教師第1期組』の私たちは、生きた言葉として当時、京都伏見桃山のヨーガアシラムで、日曜日の講義(『ヨーガの宗教理念』や『大乗起信論』など)の後、道友の質問から楽しく脱線(?!)した話の後や、アシラム1階での昼食やチャイタイムに「大事なことは、ヨーガ者として生きることやなぁ」という正に生きた言葉の謦咳に接した。これは、20歳代でヨーガを始めた私の「信念になった!」と後で思った。
佐保田先生の言葉によると、「私たちは決して『ヨーガ研究者』や『ヨーガ実践者』ではなく、『ヨーガ者』であるべきである」と言われた。『ヨーガ研究者』とは、言葉通りヨーガを研究する人であり、私たちはそれではない。また、『ヨーガ実践者』とは、ヨーガを実践する人で私たちもその中には入るが、それだけではない。
では、『ヨーガ者』とは何か?

長年の月日の流れで詳細な記憶がおぼろげになってきたが、私の独断と偏見を許してもらえるなら、『ヨーガに生きる人』であろうか?
私たちが行っているヨーガは、『ヨーガ・スートラ』を持ち出すまでもなく、ヨーガとは本来「心の働きを止滅させる」、少なくとも「心の状態を穏やかにする」ものである。
ヨーガを行っている時だけ、心が落ち着いていて、日常に戻れば騒がしいのではいけない。理想的に言えば、そのひとのヨーガが日常生活の中に生きていないといけない。
例えば『ヨーガ・スートラ』の8部門の最初には禁戒yamaがあり、その第1は非暴力とされる。非暴力は、あらゆる宗教の最初にランクされるが、単に「殺生しない」ことだけではない。物理的に殺生することはもちろんであるが、精神的に殺す(無視する・他者の立場を考えない・いなければいいと思う)なども範疇に入る。こう考えると、全くこの戒律を侵さない人はまずいなくなるが、自分のヨーガの段階に応じてこの戒律を守ろうとするのが、ヨーガ者である。
このように言うと、「世の中の多くの人が弱肉強食の中で、これでは他人につぶされる」という声も聞こえる。実際、私自身もこの種の問題に直面したことが数知れずある。その時は「何で、私が?」「どうしてこんなことが?」「あまりにもひどすぎる!」と憤慨したり、心騒がせたことも少なくない。
しかし結果的には、それに対し「目には目を!」ではなく、キリストの「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」まで行かなくても、心静かに時を待つ(これが実は難しい!)と思いがけないサプライズがやってくることを数多く体験した。
それは、自分の思いが通ることではない。相手が引っ込むことでもない。より自分に(理想的には相手にも)ふさわしい道の入り口に気づくことである。
このようなことが以前あった。かなり前の話ではあるが、ある瞑想の会に私は入ろうとした。しかし、そこに近づく度にトラブルが起こり、なかなか進めなかった。「どうして?」「なんで邪魔される?」と悩み、嘆いた。しばらくしてそこでの入会が可能になったとき、それまでのやり方がすっかり変わり、以前の入会者たちは新たにテキストを購入し、新しい方法を再び学びなおすことになった。
その時ある人が私に言った「ちょうど、変わった時に来てよかったね。この時を待っていたのね」この種のことは、少なくない。
私たちは、うまくいかないことがあると、相手に邪魔されると思ったり、落ち込んだりするが、そういう挫折の時こそ、自分がしているヨーガを生かし、道が拓かれる解決のチャンスをゲットしたい。
ことばを変えると、佐保田先生が言われた『ヨーガ者』へ近づきたいと思う。

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