受講生の声⑯
心地よい疲れと満足感
M.K ヨーガ歴7年
ヨーガを始めてから数か月間休んだことがありますが、ずっと続けています。
1時間半、心をこめて身体を動かすと、後にはとても心地よい疲れと満足感があります。
良い体調を維持できているので、これからも続けていきたいと思っています。
心地よい疲れと満足感
M.K ヨーガ歴7年
ヨーガを始めてから数か月間休んだことがありますが、ずっと続けています。
1時間半、心をこめて身体を動かすと、後にはとても心地よい疲れと満足感があります。
良い体調を維持できているので、これからも続けていきたいと思っています。
ヨーガの恩恵
M.O
ヨーガと出会い5年が過ぎようとしています。
そして3年前にインストラクターの勉強を始め、現在は諸先輩方と研修会を通じて日々楽しく活動をさせていただいています。
私自身、毎日慌ただしい生活の中で心と体の調和をさせることの大切さを実感しています。そしてヨーガの恩恵を日々受けていることについても実感しています。自分自身が楽になったように思いますが、これは私にとっては大きな一歩です。
このようなことから、今年7月から自宅にてヨーガ教室を始めました。受講していただく方が少しでもヨーガの素晴らしさを実感していただけるよう、日々ヨーガと真摯に向き合い頑張って行きたいと思います。
心と体のお話
M.O
始めた頃は、父の介護でストレスの多い日々を送っていました。何とかリラックスできる時間を作りたい、またリラックスできる方法を知りたい、それにはヨーガがいいのではないかと思い先生の教室に通い始めて3年半になりました。
ポーズとポーズの間に、先生が話して下さる“心と体のこと”もとても興味深いことです。体から緊張を取ることの難しさを毎回感じていますが、何よりも終わった後のすがすがしさを味わいたくって楽しみに通っています。
体の硬い私はなかなか皆さんの様にはできないのですが、自分なりには、始めた頃のことを思えば、随分変化したなと思っています。
出来うる限りこれからも続けていきたいです。
ヨーガ者として生きる
ヨーガ者という言葉は、佐保田先生の文章の中ではあまり見かけない。佐保田先生に師事した『ヨーガ教師第1期組』の私たちは、生きた言葉として当時、京都伏見桃山のヨーガアシラムで、日曜日の講義(『ヨーガの宗教理念』や『大乗起信論』など)の後、道友の質問から楽しく脱線(?!)した話の後や、アシラム1階での昼食やチャイタイムに「大事なことは、ヨーガ者として生きることやなぁ」という正に生きた言葉の謦咳に接した。これは、20歳代でヨーガを始めた私の「信念になった!」と後で思った。
佐保田先生の言葉によると、「私たちは決して『ヨーガ研究者』や『ヨーガ実践者』ではなく、『ヨーガ者』であるべきである」と言われた。『ヨーガ研究者』とは、言葉通りヨーガを研究する人であり、私たちはそれではない。また、『ヨーガ実践者』とは、ヨーガを実践する人で私たちもその中には入るが、それだけではない。
では、『ヨーガ者』とは何か?
長年の月日の流れで詳細な記憶がおぼろげになってきたが、私の独断と偏見を許してもらえるなら、『ヨーガに生きる人』であろうか?
私たちが行っているヨーガは、『ヨーガ・スートラ』を持ち出すまでもなく、ヨーガとは本来「心の働きを止滅させる」、少なくとも「心の状態を穏やかにする」ものである。
ヨーガを行っている時だけ、心が落ち着いていて、日常に戻れば騒がしいのではいけない。理想的に言えば、そのひとのヨーガが日常生活の中に生きていないといけない。
例えば『ヨーガ・スートラ』の8部門の最初には禁戒yamaがあり、その第1は非暴力とされる。非暴力は、あらゆる宗教の最初にランクされるが、単に「殺生しない」ことだけではない。物理的に殺生することはもちろんであるが、精神的に殺す(無視する・他者の立場を考えない・いなければいいと思う)なども範疇に入る。こう考えると、全くこの戒律を侵さない人はまずいなくなるが、自分のヨーガの段階に応じてこの戒律を守ろうとするのが、ヨーガ者である。
このように言うと、「世の中の多くの人が弱肉強食の中で、これでは他人につぶされる」という声も聞こえる。実際、私自身もこの種の問題に直面したことが数知れずある。その時は「何で、私が?」「どうしてこんなことが?」「あまりにもひどすぎる!」と憤慨したり、心騒がせたことも少なくない。
しかし結果的には、それに対し「目には目を!」ではなく、キリストの「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」まで行かなくても、心静かに時を待つ(これが実は難しい!)と思いがけないサプライズがやってくることを数多く体験した。
それは、自分の思いが通ることではない。相手が引っ込むことでもない。より自分に(理想的には相手にも)ふさわしい道の入り口に気づくことである。
このようなことが以前あった。かなり前の話ではあるが、ある瞑想の会に私は入ろうとした。しかし、そこに近づく度にトラブルが起こり、なかなか進めなかった。「どうして?」「なんで邪魔される?」と悩み、嘆いた。しばらくしてそこでの入会が可能になったとき、それまでのやり方がすっかり変わり、以前の入会者たちは新たにテキストを購入し、新しい方法を再び学びなおすことになった。
その時ある人が私に言った「ちょうど、変わった時に来てよかったね。この時を待っていたのね」この種のことは、少なくない。
私たちは、うまくいかないことがあると、相手に邪魔されると思ったり、落ち込んだりするが、そういう挫折の時こそ、自分がしているヨーガを生かし、道が拓かれる解決のチャンスをゲットしたい。
ことばを変えると、佐保田先生が言われた『ヨーガ者』へ近づきたいと思う。