Voice 受講生の声⑬
○曜日はリセットの日(ヨーガ歴2年8カ月)
M.F
私は毎週○曜日が楽しみです。
ヨーガ教室で心身ともに元気が回復するからです。
頭の先から足のつめの先まで血が巡るのがわかります。
また眠っている筋肉が気持よく目覚めます。歩くと足取り軽く、体が軽くなり、気持ちも前向きになっています。
こんなに体の変化を感じることができるヨーガなので、毎日家でもしたいと思っています。
なかなか実践できていませんが、少しずつでも取り組んで、いつも元気でいたいと思っています。
○曜日はリセットの日(ヨーガ歴2年8カ月)
M.F
私は毎週○曜日が楽しみです。
ヨーガ教室で心身ともに元気が回復するからです。
頭の先から足のつめの先まで血が巡るのがわかります。
また眠っている筋肉が気持よく目覚めます。歩くと足取り軽く、体が軽くなり、気持ちも前向きになっています。
こんなに体の変化を感じることができるヨーガなので、毎日家でもしたいと思っています。
なかなか実践できていませんが、少しずつでも取り組んで、いつも元気でいたいと思っています。
リラックスの気持ちよさ
H,K佐保田ヨーガ歴、8年
私にとってヨーガは、楽なものではありませんでした。ゆっくりのポーズは、きつく、早く終われば良いのにと思ったこともありました。
しかし、動きを速く行った方が、体が楽なように思いますが、呼吸が浅くなり、ゆっくり行うと自然に呼吸も深くなることが、回を重ねるにつれ、身をもって分かってきました。
呼吸といってもなかなか難しく、ポーズにばかり気がいくと、呼吸が止まってしまい、緊張がほぐれず疲れてしまうこともありました。
前屈がしにくい時、ねじりのポーズをしっかり呼吸をして行うと、その後前屈がしやすくなったり、前屈もゆっくりしっかり呼吸すると少しずつ、体がおりてゆく感覚があります。
何時も、先生が言われるゆっくり行う、呼吸と動作を合わせる、意識を集中することがいかに大切か実感しています。リラックスの時も気持ちよく、今では、気分が悪くなることもなく、イライラすることもなくなりヨーガを続けてきた結果に感謝しています。
ヨーガを始めたのは、35年も前のことです。
その後、結婚し、家事や子育てに急がしくなり、ヨーガを十分に生活に取り入れる事もないまま、時が過ぎてしまいました。
昨年10月より、また教室に通い始めることができ、本当に嬉しいです。
ヨーガを続けていると、心にゆとりが生まれ、日々の様々な出来事にあまり振り回されなくなって来るような気がします。
「自分が変わってゆける」というのは、すごい事だと思います。そしてその変化を楽しみながら、ヨーガを生活の中に取り入れて行ける今の暮らしに感謝です。
動機は肩こり・腰痛の軽減です。変化は少し体が柔らかくなりました。
何を御稽古・スポーツを習いに行っても3か月~6か月くらいで辞めてしまうのですが、長く続いているので家族が驚いています。
夜自宅では中々寝付けなく安眠剤を服用する事がありますが、ヨーガを習いに行った時は10分位でも本当に気持ちよく爆睡しています。
ヨーガはリラックス出来ます。
その気持ちよさを味わいたい為に長く続いているのだと思います。
慌ただしい日々の中での、自分と向き合う大切さ
F.N ヨーガ歴 4年
昨年の夏から以前(10年近く前)通っていたこのヨーガ教室に,またお世話になっていま す。始めたきっかけは,肩こり・腰痛を治して体調を調えたいという思いからでした。
凝り固まった体が,一時間半の教室が終わるとスーと楽になります。以前続けていた時には,冬になると辛かった手足の冷えも改善していました。
先生がいつもおっしゃっるヨーガの4原則(ゆっくり・呼吸と動作を合わせる・意識を集中・リラックス)そして,自分のペースでというご指導が,私にはとてもあっているように思います。
先生の指示される声だけが聞こえてくる静かな中で,ゆっくりと呼吸を合わせながら動作を行います。まだまだ体が硬く,どのポーズも満足にできませんが,ひとつひとつの動作を行いながら常に心の中で自分の体と対話しています。
毎日慌ただしく過ごしていて,こんなふうに自分の体と向き合うことは,ヨーガをしていなかったらなかったことでしょう。昔から『病は気から』と言いますが,ヨーガをしていると心と体が本当に一つなのだということを感じます。
呼吸を吸って吐いて,新しい血液が体の隅々まで行き渡っていく感覚を確かめながら,心も体もリラックスできます。
これからも,自分の体と心の健康のために続けていきたいと思っています。
カラダと出会う時間
N.Y
「私のカラダと出会う時間」。

南禅寺塔頭 天授庵
変な表現ですが、私にとってヨーガの時間はそんな言葉で表すことができます。
いろいろなポーズをとるたびに、「こんなところにこんな筋肉があったのか!」と驚いたり、サラサラと流れる血流を感じたり。
なかでも最も気づかされたのが、「体はつながっているのだ」ということです。
肩が凝ったり、首が痛い時、これまでの私は肩や首の「凝っている部分だけ」を揉んでいましたが、なかなか良くなりませんでした。ところが前屈をして、尾てい骨をゆっくりと伸ばすと、思いがけず首が楽になっている時があります。
「全体」を整えることが、局部的な痛みの軽減につながるのだと実感します。
自分でも気づかない自分の体。新たな自分と出会うために、一週間に一回のヨーガの時間を大切に過ごしたいと思っています。
ヨーガを始める
1974年5月人間医学社勤務時代、月1回の講演会≪中庸会≫で大浦孝秋会長を進行係に、『日本ヨーガ禅道友会(日本ヨーガアシラム)』を立ち上げたばかりの佐保田鶴治会長(大阪大学名誉教授)と『求道実行会(沖ヨガ道場)』会長の沖正弘会長が「ヨガと健康」をテーマに、ヨーガを通しての心身の健康観を存分に語った。
左から大浦孝秋会長、大浦夫人、佐保田鶴治先生、沖正弘先生
この会場には、佐保田鶴治先生に同行した石田祐雄先生はもちろん、教師仲間では、尊敬し大好きだった故山田文子先生、面倒見のよい中山孝子先生、特に『ヨーガ入門』新装版の編集に関わった時には、何でも相談した松岡善雄先生(現、日本ヨーガ禅道院・教導)たちがそれぞれ別の場所にいたことが後に分かった。ここに心理学で言う、『布置』を感じるのは、私の思い込みであろうか?
『布置』constellationとは、元来、占星術において星の配置の意味を持つが、直接関連の無いことも、何かの関連が得るというふうに全体性を見るとして、特にユング派の精神分析で重要視される。この会場に来ていた、一見別々の他人数人が、後日、ヨーガアシラムの礎となる第0期、第1期教師の主要メンバーとして集うことになる。
話があらぬ方へ行ったが、この講演会の中で、仕事をしながら私の耳に入ったのは、「ヨーガをしてカラダが変わると、……(少し沈黙)ココロも変わるんです」の一言(これについては、ブログ別記【佐保田鶴治先生の、心に響く言葉】4参照)だけであった。
こうして私はヨーガを始めようと決意したが、人間医学社では、日本ヨーガアシラムが開かれる土日はイベントが多く、会長秘書の私にはとても休めるような状況ではなく、「ヨーガを始められない」悩みに悶々としていた。
そんなある日、会長の書斎で資料整理をしていた私に会長は突然、「君には心の分野の才能がある」と言った。当時の私は、内面的には西洋から東洋への道のりを歩き始めていたが、まだまだ外見はキャピキャピの現代っ子であった。また、妙なテレで、内面の変化を見せないそぶりもしていた。
そんな中で大浦会長の一言は、「何も言わなくても、私の内面を見守ってくれる人がいる」と嬉しいショックで、「ただの頑固爺さんではなかった(失礼!!)、信念のある立派な人だ」と心がほくほくと深く耕され、深いところからの安心感と喜びで満ちていった。
その頃、『宗教と超心理学会』の会長、本山博博士を中心とした講演と瞑想の会が、人間医学社の2階ホールで行われていた。大浦会長は、「心の世界はまやかしが多いから、正しい道を歩むように」と言い、本山先生の瞑想を強く勧めた。私は、当分、佐保田先生へ師事することはできそうも無いと思い、本山先生に瞑想の師事をうけた。
本山先生は、見るからに温厚かつ深く熟慮をたたえた人物で、初めての瞑想では、私の周りを本山先生たちが囲み、この世のものとは思えないような至福感を味わった。30分の瞑想も、初心者には長く感じられるのが常であるが、私には、あっという間で終わったのが惜しいほどであった。
この後、喜び勇んで瞑想を続けようとしたが、まもなく、瞑想を続けることができないようになった。瞑想時に印を組むと、指にトラブルがおこるようになった。決して力を入れているのではない。後に友人で『宗教と超心理学会』講師の岩崎正春先生、現在はサイコシンセサス(統合心理学)学会副会長(HPあり)に聞いたら、「ちょっと離せばよかった」と言われたが、当時は思いつかず、瞑想する→指にトラブルが起こるので止める⇒心の安定がほしいので瞑想する→指のトラブル を繰り返し、瞑想の会が京都市内へ移転したこともあって、会から離れてしまった。
「瞑想は素晴らしいが、今の私には、今のままの身体と向き合うことが必要」と思ったからである。私は新聞社勤務、人間医学社(編集部→会長秘書)勤務を経て、フリーランスのライターとなった。時間的にも余裕ができたので、「やっと、佐保田鶴治先生へ師事することができる」と、日本ヨーガアシラムの門を叩くことにした。
ヨーガは、何かするかではなく、如何にするかですよ。
当時ヨーガ初心者の私には、不遜にもピンとこない言葉の一つであった。
当時は、40歳代のパワフルな番場一雄先生方と様々なアーサナ(ヨーガの体操)に取り組むのが面白かったからである。「これができた」「あれももうじきできそうだ」と新たなチャレンジにわくわくしていた。
しかし、佐保田先生の「如何にするかが大切」は、「結局は4原則(①ゆっくり②呼吸と動作を合わせる③意識を集中④リラックス)を守ること」と思い、難しいポーズはもちろん、シンプルなポーズも(シンプルなポーズこそ)丁寧に行うように心掛けた。
すると、心の深い部分から安心感が現れ始めた。その背景には、以下が考えられる。
若さの特権といえばそれまでだが、やみくもに動き回るのではなく、また、感情的に対処もせずに、そのもののごとそのものを、その言葉そのものを、自分の中で増減せず、感情の色もできるだけつけずに受け止めてみようと思うようになった。「これは、他の角度から見てもこう見えるだろうか?」「これも色メガネで見ていないだろうか?」心理学者のピアジェや唯識を出すまでもなく、そのもの、そのことはそれだけのままで存在していることを見直す必要があると、自然に考えられるようになったのである。
これはその後の私にとって、貴重な財産となった。
話は変わるが、私はAll AboutサイトQ&Aの回答者の一人でもある。
先日も、ヨーガのあるポーズがダンスと似ているので効果も同じかと聞かれた。
ダンスはよくわからないが、ヨーガとスポーツは全く違う。良い悪いの問題ではない。大きな違いとしては、スポーツは体力を消耗し、また、筋肉を鍛える。まさに体レベルの何物でもない。しかしヨーガは筋肉トレーニングはある程度可能だが、それ以上に、心を深く、豊かに耕すことができる。できる、と書いたのは「仕方による」からである。
また、スポーツのエネルギーの消費に対して、ヨーガはエネルギーが満ちて元気が出る。
ヨーガがブームになって久しいが、ここがわからない人が多く、指導者の中にもヨーガの本質を理解していない人が少なくない。
ヨーガのバイブル、『ヨーガ・スートラ』の最初に、「ヨーガとは心の働きを止滅させることである」とあるように、心の変化をもたらさないものは、ヨーガではない。
ここでよく質問される。「ヨーガの体操はゆっくりした体操じゃないですか?」私たちは、ヨーガのアーサナを動くメディテーション(瞑想)として行う。
瞑想は非常に素晴らしいものだが、座って行うことは一般には難しい。それより、体に集中しながら行う、ヨーガのアーサナは多くの人にとって、入りやすい道である。
効果も得やすい。
このようなやり方(世間では『佐保田ヨーガ』といわれる)は、人々に心身の健康をもたらし、やがてそれは社会に健康にも役立ってくれると、大変な時代を痛感する現在、私は確信している。
ヨーガをしてカラダが変わると、(沈黙)ココロも変わる
この言葉を、初めて佐保田鶴治先生から聞いた時のカルチャーショックは、大きい。
「何故?」「体のことが、心とどうつながるの?」「でも、それが本当ならすごい!」
この一言で私はヨーガに関心を深め、数年後、佐保田先生に師事した。
ヨーガアシラム(京都・桃山)では当時(1970~1980年頃)、佐保田先生はアーサナの実技指導もされていた。呼吸がとても長く説明も長いので、当時、呼吸が浅くて速い私は息が苦しく、紅潮し、息絶え絶えであった。後でこっそり教えてくれたのは、優しい故山田文子先生であった。「無理に一呼吸でしなくても、いいのよ」救われた思いで、アーサナに励んだ。
その頃、人見知りの激しい私は、知らない人ばかりの内では、どう振舞って良いかわからず、自然にその場を去ることが多かったが、なぜか、ヨーガアシラムでは親切な先輩やおせっかいなほど面倒見のよい同期の人たちが数人いて、食事やお茶に誘ってくれたりして何かと気を使ってもらい、何とか直ぐにやめずにすんだ。
数年してこの場に慣れた頃、何故か来なくなった人たちもいる。本当にありがたかったと、今でも、思う。そういう人たちとは、定期的に会うことは無いが、精神世界のワークなどで会うこともある。感謝の気持ちでいっぱいだが、相手は、「そうかなぁ」とあっさりしている。不思議な気がする。
さて、ヨーガアシラムでは、毎回講義や実技指導の後、佐保田に何かと質問する人が多いが、私はこの言葉「ヨーガをしてカラダが変わると、(沈黙)ココロも変わる」の意味を聞こうとは思わなかった。
私にとっては、カルチャーショックのビッグな言葉なので、大事に抱きしめて味わいながら解いてみようと思ったからである。「ヨーガは理屈ではない」と言う人もいるが、分からないことを自分なりに解くことによって、更にヨーガを深めていくことはできると思う。
結果、現在ではいくつかの説明ができるようになった。
その1.
アーサナを行った後、体が柔らかく緩むと、心も和らぐ。ストレス社会と言われて久しいが、大きなストレスがあれば体は緊張し、心も強張る。このようなときでも、丁寧にヨーガをすれば体の緊張が和らぎ、心の緊張も解ける。
この変化が更に積まれると、一時的な気持ちの変化からやがては人格の変容へと進むと思われる。
その2.
『ルビンの盃』など、ゲシュタルト心理学でも説明できる。『ルビンの盃』では、中央に集中すると見えるのは『盃』のみで、両側に集中すると見えるのは『女性の横顔』で他は背景として消える。
これを応用すると、悩み事などがある場合、ついついそのことばかりを考えてしまうが、堂々巡りで埒が明かず、終には感情的になることもあろう。しかし、例えば、体の一部に集中しながらアーサナをすると、心にある悩みが一時的にしろ背景として消える。
このようなことを繰り返すうちに、私は、「悩みは、その時は大変ではあるが、自分を成長させてくれる大切な応用問題」と思えるようになった。
悩みの解決法は無限にある。力のある人に助けてもらう方法もあるし、逃げ出す方法もある、しかしご縁がありヨーガを続けているのだから、ヨーガ的解決法を探り、実践したいと思う。するとその時は、決して楽では無いが、後で振り返ると今の自分があり、あれだけ苦しんだ悩みにも親しみさえ感じる。
そのような道を、ヨーガを通して、佐保田鶴治先生の言葉を手がかりに、それまで学んだことや身に着けたものを使って解決する応用問題として、これからも歩みたいと思う。